日本歴史地名大系 「塔世町」の解説 塔世町とうせまち 三重県:津市津城下塔世町[現在地名]津市北丸之内(きたまるのうち)万(よろず)町の南、桜(さくら)川の板橋以南を占める町人町で、南の西(にし)町を経て京口(きようぐち)御門に通ずる。江戸初期は釜屋(かなや)町とともに津城下町の北端であった。町名は古代の「塔世の里」にちなむという。寛永元年(一六二四)の町年寄推挙文書(津市史)に「当世町」と記すが、江戸期を通じて塔世町を町名とする。明治二四年(一八九一)常盤(ときわ)町と改称した。藤堂高虎入封後、塔世町の北も町割がされ、寛永元年には萱(かや)町(のちの万町)として町年寄支配町に加わったが、五〇年余り経ても塔世町の北出口付近には人家がなかったらしく、普請奉行吉武日記(津市史)に「延宝五年六月、塔世町と万町との間、堀地に町屋御建海辺見え通り不申様に可被成候」の状況であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by