国指定史跡ガイド 「塙保己一旧宅」の解説
はなわほきいちきゅうたく【塙保己一旧宅】
埼玉県本庄市児玉町にある邸宅跡。江戸時代の国学者塙保己一の生家で、この一帯は養蚕地として栄えた。当地で生まれた塙保己一は7歳の時に失明し、15歳で江戸に出て雨富検校(あめとみけんぎょう)の弟子になり、その後、賀茂馬淵(かものまぶち)らの学者に指導を受け国学を研究。1793年(寛政5)年に幕府に願って和学講談所を設け、宇多天皇以来の史料430巻や『群書類従』『続群書類従』を編纂。生家は茅葺き2階建てで間口が7間、奥行き4間で、向かって左側に田の字形の座敷、右側に土間、厩(うまや)があり、北武蔵地方の典型的な養蚕農家の間取りである。同市児玉町内の城山公園内には塙記念館があり、貴重な資料を見ることができるJR八高線児玉駅から徒歩約25分。