塚田新村(読み)つかだしんむら

日本歴史地名大系 「塚田新村」の解説

塚田新村
つかだしんむら

[現在地名]加治川村塚田

今泉(いまいずみ)川右岸にあり、北は小島新(おじましん)村、西は古館新(ふるだてしん)村。寛文二年(一六六二)の開村と伝え、同一三年の村上御領分組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)では川尻組に属した。延宝九年(一六八一)頃の高反別免割家数人数帳(寛政一二年写、新発田市史資料)には高五八石四斗余・反別四町六反余、家数六・人数三〇とある。元禄郷帳には横岡(よこおか)村枝郷と記され、村高は四〇石余。宝永七年(一七一〇)幕府領、享保九年(一七二四)三日市藩領となり、同年の郷村高辻帳(伊藤喜太郎氏蔵)には高一六石九斗余とある。


塚田新村
つかだしんむら

[現在地名]笹神村塚田

下山屋(しもやまや)村の北にあり、東は長起新(ながおきしん)村に接する。元禄郷帳に下山屋村枝郷とあり、高一七一石三斗余。宝永四年(一七〇七)頃の山崎組御巡見御案内帳(渡辺家文書)には寛文四年(一六六四)の開発と記され、高一八八石八斗余・田畑反別一五町五反余、家数九、男三二・女二六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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