塩島新田村
しおじましんでんむら
[現在地名]白馬村大字北城 新田
慶安二年(一六四九)に実施された松本藩の総検地の際、糸魚川道の荷継宿である千国・飯森両宿の間が九キロあり、多雪地帯のため物資輸送の牛馬や歩荷の通行に難儀をするとのことから、その中間に宿場を設ける必要があるとし、開発された新田村であると伝える。
慶安三年三月付の安曇郡塩島新田開発請書(塩島勘解由氏蔵)によれば、松本藩が新田開発を命じ、塩島村及び同村枝郷切久保の村民が、これを請けて開発に同意し、開発区域を明瞭にしていることが明らかである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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