日本歴史地名大系 「塩島村」の解説
塩島村
しおじまむら
[現在地名]白馬村大字北城 塩島
塩島村の名は、宝徳三年(一四五一)の小笠原持長安堵状案(諏訪大社下社文書)において「安曇郡大妻南方・同郡千国庄内塩島村(中略)等事、為神領上者、不可有相違之状如件」として、
江戸時代初期の村の規模は、元和五年(一六一九)の八郎右衛門等連署勘定書(塩島文書)によれば三二石一斗七升四合五勺の村高を有し、松本藩への貢租は金納によっていたことが知れる。
塩島村
しおじまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報