塩島村(読み)しおじまむら

日本歴史地名大系 「塩島村」の解説

塩島村
しおじまむら

[現在地名]白馬村大字北城ほくじよう 塩島

姫川ひめがわ盆地北端で、姫川小谷おたり峡谷に流入しようとするその口にあたる所に位置する。

塩島村の名は、宝徳三年(一四五一)の小笠原持長安堵状案(諏訪大社下社文書)において「安曇郡大妻南方・同郡千国庄内塩島村(中略)等事、為神領上者、不可有相違之状如件」として、千国ちくに庄に属していた塩島村の地を諏訪社下社大祝に安堵したことを初見とする。なお塩島村の地は建久元年(一一九〇)一二月の某下文(新見文書)により「千国御庄内於他里・飯守所」とあるこの千国庄のうち飯守いいもりの政所に所属していたことは明らかである。

江戸時代初期の村の規模は、元和五年(一六一九)の八郎右衛門等連署勘定書(塩島文書)によれば三二石一斗七升四合五勺の村高を有し、松本藩への貢租は金納によっていたことが知れる。


塩島村
しおじまむら

[現在地名]足利市福富町ふくとみちよう福富新町ふくとみしんまち

渡良瀬川右岸に位置し、対岸は足利郡猿田やえんだ村、北西簗田やなだ郡猿田村。応永八年(一四〇一)一二月二三日の関東公方足利満兼寄進状案(鑁阿寺文書)足利庄「塚嶋郷」とみえ、関東管領上杉朝宗の意向を受けて郷内の一部が借宿かりやど郷の「定光寺」に寄進されている。塚嶋郷とは塩島郷のことであろうか。慶安郷帳東野地誌本に「上塩島村」とみえるが、輪王寺本を勘案すると上渋垂かみしぶたれ村の誤記。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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