塩見村(読み)しおみむら

日本歴史地名大系 「塩見村」の解説

塩見村
しおみむら

[現在地名]館山市塩見

浜田はまだ村の東に位置し、北はかがみヶ浦に臨む。古代安房郡塩海しおみ(和名抄)の遺称地とされる。年月日未詳の全玄書状(金沢文庫文書)にみえる塩海郷は当地にあたる。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録ではこうやつ五ヵ村のうちに含まれていたと考えられるが、同年一〇月の検地帳(館山市史)では田七町九反余・畑九町九反余・屋敷五反余。同一五年の里見家分限帳では高一九七石余で里見氏隠居領。寛永二年(一六二五)知行宛行状で当村高一八五石余が旗本石川正次に与えられている。


塩見村
しおみむら

[現在地名]日向市塩見

富高とみたか村の西に位置し、中央部を塩見川とその支流奥野おくの川が流れる。天正年間(一五七三―九二)に通用した日向国五郡分帳に「塩見 三十町」とみえる。同一六年八月四日の日向国知行方目録には高橋氏(のち延岡藩主)領として「参拾町 塩見」とある。江戸時代の領主変遷富高村に同じ。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高六一七石余。万治四年(一六六一)延岡藩村高内検高覚では内検高一千二五〇石余。天保九年(一八三八)の臼杵郡七ヶ村明細帳(旧文書)によれば、田高一千八二石余・反別九六町二反余、畑高二六七石余・反別五五町五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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