日本歴史地名大系 「日向国知行方目録」の解説
日向国知行方目録
ひゆうがのくにちぎようかたもくろく
解説 天正一五年島津氏が豊臣政権に敗北した後、豊臣秀吉が日向一国の知行割を決定し布告・安堵した文書で、地名・知行田数が併記され郡名が記入された個所もある。田数は戦国末期には存在したであろう日向国五郡分帳と一致するものが多く、この時期の日向の国割に関与した綾新右衛門と知行目録の相関関係が注目される。また近世大名の支配領域の確定材料であるのみならず、建久八年の日向国図田帳と比較することにより、郡域の変更や知行田数の継続・改変の在り方を知るうえでも貴重である。高橋元種宛のものは天正一六年八月四日に発給されたものの写本で、大東急記念文庫所蔵。秋月種長宛には同月五日に発給され、原本は高鍋町歴史総合資料館所蔵。伊東祐兵宛にも同日発給されており、「伊東系譜」所収文書(東京大学史料編纂所所蔵謄写本)。島津豊久宛には同月四日に発給され、原本は鹿児島県歴史資料センター黎明館にある。島津義弘宛には同月五日に発給され、原本は東京大学史料編纂所所蔵。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報