増山金八(読み)ますやま・きんぱち

朝日日本歴史人物事典 「増山金八」の解説

増山金八(初代)

生年生没年不詳
江戸中期の歌舞伎狂言作者。通称金波。金井三笑門人で,宝暦12(1762)年11月番付に登場,安永3(1774)年立作者となり,壕越二三治や2代目中村重助と合作。同9年には上坂し奈河七五三助などと合作。天明4(1784)年江戸へ帰り,「大商蛭子島」を初代桜田治助と合作。「大船盛鰕顔見勢」など4代目岩井半四郎の作者として活躍したが,寛政9(1797)年を最後に劇界から名を消した。筋立ては平易,常磐津「筒井筒色水上」「桂川月思出」など,浄瑠璃,長唄に優れた作品が多い。2代目は4代目鶴屋南北門下の槌井兵七,3代目は5代目鶴屋南北門下の槌井豊作が襲名した。

(安田文吉)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増山金八」の解説

増山金八(初代) ますやま-きんぱち

?-? 江戸時代中期-後期の歌舞伎作者。
金井三笑の門人。安永3年(1774)江戸森田座の立作者となる。時代物,世話物を得意とした。また豊後(ぶんご)節,長唄の作詞家としても知られる。代表作は「大船盛鰕顔見世(おおふなもりえびのかおみせ)」で,4代岩井半四郎の三日月おせんが大当たりをとった。前名は金井金八。俳名呉山

増山金八(2代) ますやま-きんぱち

?-1826 江戸時代後期の歌舞伎作者。
4代鶴屋(つるや)南北の門人。5代岩井半四郎付作者となり,文政5年2代増山金八を襲名,江戸森田座の立作者となる。文政9年死去。前名は槌井兵七。俳名は米夫,呉山。作品に「花櫓和国凱(はなやぐらわこくのかちどき)」。

増山金八(3代) ますやま-きんぱち

?-? 江戸時代後期の歌舞伎作者。
5代鶴屋(つるや)南北の門人。嘉永(かえい)3年(1850)3代増山金八を襲名。安政年間に死去したという。前名は槌井豊作。

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世界大百科事典(旧版)内の増山金八の言及

【大商蛭子島】より

…4幕。初世桜田治助・増山金八らの作。1784年(天明4)11月江戸中村座の顔見世狂言として初演。…

【子守】より

…演者は岩井紫若(7世半四郎)。作詞増山金八。作曲清元斎兵衛。…

【其俤浅間嶽】より

…1779年(安永8)3月,江戸市村座で2世瀬川菊之丞回忌追善として初演。作詞増山金八,作曲名見崎徳治。菊之丞代々の当り役であった傾城奥州の霊を3世菊之丞がつとめ,2世富本豊前太夫が語った。…

【手習子】より

…七変化所作事《杜若七重の染衣(かきつばたななえのそめぎぬ)》の一曲。作詞増山金八。作曲初世杵屋(きねや)正次郎。…

※「増山金八」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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