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金井三笑 かないさんしょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金井三笑
かないさんしょう

[生]享保16(1732).江戸
[没]寛政9(1798).江戸
江戸時代中期の歌舞伎作者。劇場の金銭をとりしきる帳元の出身で,4世市川団十郎立作者として頭角を現し,隠然たる勢力をもった時期もあったという。4世鶴屋南北らに影響を及ぼしたともいわれる。筋立てを重視し複雑な趣向をこらした作風で,代表作には『江戸紫根元曾我』『蛇柳 (じゃやなぎ) 』『色上戸三組曾我 (いろじょうごみつぐみそが) 』などの名が伝わるが,完全な形で現存する台本はない。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金井三笑 かない-さんしょう

1731-1797 江戸時代中期の歌舞伎作者。
享保(きょうほう)16年生まれ。江戸中村座の帳元(ちょうもと)から宝暦4年市川団十郎づきの作者に転じる。のち団十郎と決別,市村座によって中村座に対抗した。世話物を得意として三笑風とよばれる劇作法を確立。門弟に4代鶴屋南北らがいる。寛政9年6月16日死去。67歳。江戸出身。通称は金井筒屋半九郎別号に与鳳亭。

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朝日日本歴史人物事典の解説

金井三笑

没年:寛政9.6.16(1797.7.10)
生年:享保16(1731)
江戸中期の歌舞伎狂言作者。別号与鳳亭,江戸中村座代々の手代で通称を金井半九郎といい,金井筒屋という芝居茶屋の主人。2代目市川団十郎の信頼を得て,団十郎の俳名三升にちなんで三笑と号し,22歳の若さで中村座の帳元(支配人)に出世。宝暦4(1754)年11月,4代目団十郎襲名に際し,金井三笑の名前で狂言作者となり,団十郎一門を中心とする「市川揃え」と呼ばれる大一座を実現することになるが,中村座の後継問題で団十郎と決別。隣接する市村座に移り,江戸根生の団十郎に対して,大坂下りの初代尾上菊五郎の後ろ盾となり,市村座の親類格となって中村座の大一座に対抗,常磐津の「蛛蜘糸梓弦」などを書いた。無名の新人尾上松助らを抜擢,また大坂の浜芝居と呼ばれる二級の芝居から初代坂東三津五郎,初代大谷友右衛門,3代目瀬川菊之丞を呼んで江戸の人気役者とすることに成功。その後2度中村座に復帰するが,そのたびに座元後継問題で失脚。その一方で,江戸の大芝居三座が莫大な借財のために仮芝居に興行権を譲らなければならなくなるなかで,3代目沢村宗十郎ら子飼いの役者たちを組織し,独立したグループを形成する。 緊迫した日常から「笑わず屋」と呼ばれ,本読をおえたあとで,刀の柄に手をかけ役者をにらみ,作品を納めたと伝えられる。その作風は「三笑風」と呼ばれ,大坂の義太夫狂言の影響を強く受け,小道具などを巧みに使った筋の展開を特色とし,門下の4代目鶴屋南北によって大成された。台本の形で今日に伝わるのは「うれしく存曾我」の1幕のみで,他に富本の「四十八手恋所訳」など豊後節浄瑠璃,長唄の作詞がある。<参考文献>河竹繁俊『歌舞伎作者の研究』,古井戸秀夫「三笑風と桜田風上・下」(『近世文芸/研究と評論』1976年10・11月号)

(古井戸秀夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

かないさんしょう【金井三笑】

1731‐97(享保16‐寛政9)
歌舞伎作者。通称金井筒屋半九郎。号与鳳亭。江戸中村座譜代の手代で弱冠22歳で帳元になる。1754年(宝暦4)4世市川団十郎の襲名に際し,俳名の三笑を筆名にして作者を兼ねる。帳元をやめ,59年に団十郎付の立作者として独立。《江戸紫根元曾我(えどむらさきこんげんそが)》《蛇柳(じややなぎ)》など当り狂言を書き人気作者となる。63年団十郎と決別,翌年から市村座に立てこもり,団十郎中心の中村座の大一座に対立し,若手のために《色上戸三組曾我(いろじようごみつぐみそが)》などを書く。

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大辞林 第三版の解説

かないさんしょう【金井三笑】

1731~1797) 江戸中期の歌舞伎作者。江戸の人。通称、半九郎。別号、与鳳亭。世話物にすぐれ、その作風は筋立てを重視し、「三笑風」と呼ばれる。壕越二三治ほりこしにそうじとともに、江戸の二大名作者と称された。作「江戸紫根元曽我」「色上戸三組曽我」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金井三笑
かないさんしょう
(1731―1797)

歌舞伎(かぶき)作者。通称金井筒屋半九郎。江戸・中村座の手代で22歳で帳元になる。1754年(宝暦4)4世市川団十郎の襲名と同時に、俳名の三笑を名のり作者となる。中村座を中心に団十郎付きの作者として活躍、のち団十郎と決別し、市村座を中心に市川家に対抗して劇界に勢力をもち、天明(てんめい)期(1781~89)には江戸作者界を陰で支配した。年中行事に縛られた因襲的な興行制度が瓦解(がかい)していくなかで、自由な、営業本位の制度を再編成する。また、桜田治助(じすけ)の趣向本位の「桜田風」に対して、あくまでも筋立てを重視し、複雑な趣向を機械的に組み合わせる「三笑風」とよばれる劇作法を確立して合作制度にふさわしい作者の式法をつくりだした。『江戸紫根元曽我(えどむらさきこんげんそが)』『蛇柳(じゃやなぎ)』『色上戸三組曽我(いろじょうごみつぐみそが)』などの名が伝わるが、台本が現存するのは『うれしく存曽我(ぞんじそが)』のみである。ほかに富本浄瑠璃(とみもとじょうるり)『四十八手恋所訳(しじゅうはってこいのしょわけ)』など浄瑠璃の詞章が伝わる。3世沢村宗十郎(そうじゅうろう)、3世大谷広次、2世坂田半五郎、初世尾上(おのえ)松助ら名優の育ての親でもある。息子に作者の筒井三鳥、松井由輔(よしすけ)、門下に4世鶴屋南北がいる。[古井戸秀夫]

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世界大百科事典内の金井三笑の言及

【歌舞伎】より

…《双面(ふたおもて)》《関の扉(と)》《戻駕(もどりかご)》などの名作が初演された。桜田治助や金井三笑(さんしよう)も,これらの浄瑠璃をつくるのを得意にした。とくに治助は〈桜田の浄瑠璃〉と呼ばれて,この面の才能を高く評価されていた。…

【世界綱目】より

…原著者不明。筑波大学所蔵本には〈金井三笑撰ト云〉とある。1791年(寛政3)以前に原型が成立,以後の歌舞伎作者たちが転写,補筆したものである。…

※「金井三笑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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