20世紀日本人名事典 「増淵穣」の解説 増淵 穣マスブチ ミノル 昭和期の教育運動家 生年明治40(1907)年8月15日 没年昭和55(1980)年 出生地栃木県河内郡(現・宇都宮市) 学歴〔年〕東京府豊島師範学校〔昭和2年〕卒 経歴東京の潤徳小学校に勤務中、教育文芸家協会に加盟、また転任命令に反対し、昭和5年解雇される。同年日本教育労働者組合の結成に参加し、7年全協中央常任委員会秘書局長となる。同年共産党に入党し、8年検挙され、10年まで獄中生活を送る。12年東京府の外郭団体に勤務し、教育相談の事業に従事しながら教育研究運動に参加。戦後、全日本教員組合の結成に参加。31年共産党東京都委員会常任委員をし、また日本共産党中央委員会に勤務した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増淵穣」の解説 増淵穣 ますぶち-みのる 1907-1980 昭和時代の教育運動家。明治40年8月15日生まれ。東京府潤徳小学校に勤務中の昭和4年,浦辺史(ひろし)とともに強制転任命令に反対したところ,児童の同盟休校に発展。5年日本教育労働者組合の結成に参加,7年共産党にはいる。戦後全日本教員組合の結成に参加,中央委員となった。昭和55年死去。73歳。栃木県出身。豊島師範卒。著作に「日本教育労働運動小史」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by