増田手古奈(読み)マスダ テコナ

20世紀日本人名事典 「増田手古奈」の解説

増田 手古奈
マスダ テコナ

大正・昭和期の俳人,医師



生年
明治30(1897)年10月3日

没年
平成5(1993)年1月10日

出生地
青森県南津軽郡蔵舘村(現・大鰐町)

本名
増田 義男

別名
別号=義人

学歴〔年〕
東京帝国大学医学部〔大正7年〕卒,東京帝国大学大学院修了

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
青森県文化賞〔昭和36年〕,青森県褒章〔昭和37年〕,東奥賞〔昭和48年〕,勲五等瑞宝章〔昭和44年〕,大鰐町名誉町民〔昭和51年〕

経歴
大正12年水原秋桜子、高野素十らと共に高浜虚子に学ぶ。昭和3年父の死にあい、6年帰郷し医院開業。同年俳誌「十和田」を創刊し、主宰。9年「ホトトギス」同人。句集に「手古奈句集」「夜の牡丹」「合歓の花」「定本増田手古奈句集」「山荷葉」「つらつら椿」、随筆集に「雑記帳」「十和田雑詠鑑賞」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増田手古奈」の解説

増田手古奈 ますだ-てこな

1897-1993 大正-昭和時代の医師,俳人。
明治30年10月3日生まれ。東京帝大在学中に高浜虚子の門にはいる。昭和6年郷里の青森県大鰐町で医院を開業,かたわら「十和田」を創刊,主宰した。平成5年1月10日死去。95歳。本名は義男。句集に「手古奈句集」「夜の牡丹」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android