20世紀日本人名事典 「増田日遠」の解説 増田 日遠マスダ ニチオン 大正・昭和期の僧侶 日蓮宗管長;大僧上。 生年明治26(1893)年9月26日 没年昭和44(1969)年4月29日 出身地熊本市 別名幼名=智親 学歴〔年〕日蓮宗大学卒 経歴明治32年6歳で得度、40年小山田宣慶入門。大正8〜昭和2年五行成満。布施日健に信頼され、伝師相承の印可を受け、無漏相承の秘法を伝授された。大正6年東京六郷勧乗寺住職、次いで谷中上聖寺、日暮里本行寺、谷中瑞輪寺、昭和26年千葉天津誕生寺、32年日蓮宗総本山身延山久遠寺、34年京都本圀寺、38年千葉中山法華寺の各住職を歴任。また同宗宗会議員、宗務所長、宗務総監、身延山総監、日蓮宗管長、大僧正、身延山短期大学長なども務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増田日遠」の解説 増田日遠 ますだ-にちおん 1893-1969 大正-昭和時代の僧。明治26年9月26日生まれ。山梨県身延山(みのぶさん)久遠(くおん)寺,京都本圀(ほんこく)寺,千葉県中山法華経寺などの住職。日蓮宗(にちれんしゅう)管長,身延山短大学長,立正大財団理事長などを歴任した。昭和44年4月29日死去。75歳。熊本県出身。日蓮宗大学林(現立正大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by