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壬生小家主女 みぶの おやかぬしめ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

壬生小家主女 みぶの-おやかぬしめ

?-? 奈良時代の女官。
采女(うねめ)として後宮につかえる。藤原仲麻呂の乱鎮定や孝謙上皇の重祚(ちょうそ)にかかわった功績で,天平神護(てんぴょうじんご)元年(765)従五位下となり勲五等も授与された。神護景雲2年(768)には常陸国造(ひたちのくにのみやつこ)となり,のち正五位下に昇進。常陸(茨城県)出身。名は子家主女,小家主とも。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

壬生小家主女

生年:生没年不詳
8世紀後半の女官。子家主女とも書く。常陸国(茨城県)筑波郡出身の采女で,正五位下まで上ったことは明らか天平宝字7,8(763,64)年ごろ,保良宮から平城京に帰り法華寺にいた孝謙上皇が,「竹波命婦」のところに小豆など4種を支給するよう指示した木簡が発見されている。「竹波命婦」とは,のちに掌膳として称徳(孝謙)天皇の食事を調えた小家主女のことであるらしい。天平神護1(765)年に勲5等を受けているのは,仲麻呂の乱の鎮定,称徳天皇擁立に功があったためとみなされている。姓は直から連,宿禰と次々に改まり,神護景雲1(768)年には常陸国造に任じられた。地方豪族の娘が中央で位のある女官として名を残した稀な例であるが,名誉は一身に限り,故郷の一族に影響はなかったらしい。<参考文献>門脇禎二『采女』

(児島恭子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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