改訂新版 世界大百科事典 「壺〓塚」の意味・わかりやすい解説
壺塚 (こうづか)
Hou-ch`ong
韓国,慶尚北道慶州市路西洞にある,三国時代新羅の古墳。1946年韓国国立中央博物館によって調査された。径16m,高さ5mに復元される積石木槨墳で,隣接する銀鈴塚とともに双円形をなす。木棺内に仰臥伸展の状態で埋葬された被葬者は,金銅製の冠・履,金製の耳飾・銙帯(かたい)・腕輪・指輪,玉,太刀を身にまとっていた。棺外には,蓋に蓮華文を鋳出した青銅容器,鬼面を表現した木心漆面,馬具,鉄製武器・工具,鉄鋌,土器などの遺物が副葬されていた。古墳名称の由来となった青銅盒(ごう)の外底面には〈乙卯年国岡上広開土地好太王壺杅十〉という4行4字の銘が鋳出されていた。広開土王没後の3年,長寿王3年(415)にあたる乙卯年に高句麗の地で製作されたものであろう。古墳の年代は伴出遺物から6世紀とみられるので,この盒は伝世されたのであろう。5世紀における新羅と高句麗の政治的・文化的関係を物語る資料である。
執筆者:東 潮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報