朝日日本歴史人物事典 「外山脩造」の解説
外山脩造
生年:天保13.11.10(1842.12.11)
明治期の実業家。阪神電鉄の初代社長。越後国(新潟県)長岡藩の藩士安井伝の子。のちに外山家を継いだ。同藩の執政河井継之助の影響を受け,明治1(1868)年の戊辰戦争時には河井に従って長岡での戦に参加した。2年に東京に出て慶応義塾に学び,のちに開成学校に移り,さらに共立学舎に入った。5年に秋田県立学校の教員となったが,その後大蔵省紙幣寮翻訳課勤務となり,さらに11年に第三十二国立銀行(大阪)の総監役に転じた。次いで15年には日本銀行理事・大阪支店長となったが,日銀総裁富田鉄之助と意見が合わず,18年に日銀を去り,20年から翌21年にかけて欧米諸国の経済視察のため出発した。そのとき,ニューヨークで電気鉄道の模型を見学して感銘を受け,私鉄の経営を志したと伝えられる。32年に阪神電気鉄道株式会社が設立されたとき,外山は初代社長に選任された。そのほか奈良鉄道,総武鉄道,北海道鉄道,博多湾鉄道などの設立や経営に関与した。16年の大阪倉庫株式会社(のちに鴻池家が経営)の創設や,23年の大阪貯蓄銀行(頭取鴻池善右衛門)の開業,25年の日本火災保険株式会社(大阪,社長平瀬亀之輔)の設立,31年の大阪舎密工業株式会社(コークスの製造など)の創業などにも力を注いだ。そのほか31年の浪速銀行の設立に際しては頭取に選ばれ,同行はさらに共立銀行,明治銀行を合併して経営を拡大した。<参考文献>宮本又次編『上方の研究』5巻
(作道洋太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報