外波村(読み)となみむら

日本歴史地名大系 「外波村」の解説

外波村
となみむら

[現在地名]青海町外波

外波川河口付近、北陸道沿いの街村で漁業を主にした。外波川をさかのぼって上路あげろ村への山路がある。承元元年(一二〇七)親鸞は越後国府へ流罪となったが、道中親不知おやしらず難所を越え、外波浦から船に乗ったとする説もある(頸城郡誌稿)。道興准后の「廻国雑記」文明一八年(一四八六)七月には「砥なみ」とある。「梅花無尽蔵」の詩僧万里集九も延徳元年(一四八九)五月に外波を経て親不知へ向かった。正保国絵図に村名があり、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高一二石一斗余、天和三年郷帳では高一〇石二斗余、うち山高二斗五升四合とある。北陸道に沿い、親不知・子不知の難所を挟んだ青海・市振いちぶり宿の中間にあるため、東隣のうた村とともに間宿を勤め、市振から青海の荷は外波で、青海から市振への荷は歌で継ぎ送った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報