道興准后が著した紀行文。道興は,近衛房嗣の子で,聖護院門跡,新熊野検校などに任ぜられた。その後,職を辞して詩歌の道へ入り,足利義政・義尚に優遇された。本書は,1486年(文明18)の6月から,北陸道を経て越後に至り,関東から甲斐,さらに奥州の松島に至る10ヵ月の旅について記したものである。漢詩,和歌,俳諧,連歌を交えた紀行文は,その文学的価値もさることながら,当時の各地の修験者の動向を知る資料として貴重である。道興は,大峰抖擻(とそう),西国巡礼,那智滝籠などの苦行を経験した門跡であり,各地の霊山で禅定または参拝を果たしている。道興に代表される室町時代の聖護院門跡の廻国は,各地に散在する修験者を掌握する意図を持っていたと考えられ,修験教団としての本山派成立への礎を固めるものであった。
執筆者:鈴木 正崇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
室町時代後期の紀行。聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)の准三后(じゅさんごう)、道興(どうこう)大僧正の著で、1487年(長享1)に成立。5巻あり、『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』『甲斐叢書(かいそうしょ)』などに所収。その前年(文明18)夏、57歳の道興は京を出立し、若狭(わかさ)(福井県南西部)から北陸路を経て関東各地を遊歴し、さらに東北地方に赴いた。各地の武士や僧と雅交を結び、名所旧跡を訪ね、伝説を記録し、漢詩、和歌、発句(ほっく)を交えて奥州松島・名取川まで至っている。紀行文としても優れ、当時の東国の状況や各地の文化史、交通史の重要史料である。
[北原 進]
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…1614年(慶長19)義康の子忠義のとき伯耆国倉吉に移封され,22年(元和8)嗣子なく断絶した。道興准后の《廻国雑記》に,1486年(文明18)の鴨川,小湊,天津辺海岸の風物が描写されている。
【近世】
里見氏左遷以後の当国は譜代小藩の分立状態になった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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