外牧村
ほかまきむら
[現在地名]大津町外牧
瀬田村の南、阿蘇立野の火口瀬から西へ続く深い谷間の白川左岸に立地する。集落の周囲は水田地帯で南側に七〇―一六〇メートルに及ぶ浸食谷壁が東西に連なる。近世阿蘇郡の布田手永に属していた。「一統志」に「外牧 東福寺観音金福寺阿弥陀釈迦」とみえ、元禄国絵図に「鳥子村之内外牧村」とある。「国志草稿」に高四〇三石余、「肥集録」は、本内牧・境目・畑などの小村を記す。「肥陽諸士鑑」(「肥後細川家侍帳」所収)によると、「南郷牧村」のうち二六三石五斗余が家老職長岡丹波是春の知行となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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