多々羅義雄(読み)タタラ ヨシオ

20世紀日本人名事典 「多々羅義雄」の解説

多々羅 義雄
タタラ ヨシオ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治27(1894)年9月18日

没年
昭和43(1968)年12月10日

出生地
福岡県能古島

主な受賞名〔年〕
文部大臣奨励賞〔昭和41年〕,光陽会功労賞〔昭和41年〕

経歴
明治43年佐賀に出て、流浪中の青木繁に師事する。45年上京し、満谷国四郎に学び、また太平洋画会研究所、本郷洋画研究所で学ぶ。大正2年の第7回文展に「南の海」が入選、9回展の「海岸の山」で褒状を受け、11回展から無鑑査となり、12回展の「上総の海」で特選受賞。昭和4年太平洋美術学校教授となり、25年太平洋画会代表となったが、29年光陽会を創立し、会長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多々羅義雄」の解説

多々羅義雄 たたら-よしお

1894-1968 大正-昭和時代の洋画家。
明治27年9月18日生まれ。佐賀で青木繁に師事し,明治45年上京して太平洋画会研究所にはいり満谷国四郎にまなぶ。また本郷絵画研究所にも所属した。大正2年文展に初入選,「上総の海」で第12回文展特選。昭和25年太平洋画会代表となり,のち光陽会を創立。昭和43年12月10日死去。74歳。福岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android