日本歴史地名大系 「多伎町」の解説 多伎町たきちよう 島根県:簸川郡多伎町面積:五五・〇四平方キロ旧出雲国の海岸部の西端に位置し、北東は湖陵(こりよう)町、南東は佐田(さだ)町、南と西は大田市に接する。北は日本海に面し、田儀(たぎ)川と小田(おだ)川が町内を縦断して日本海に流入する。海に沿ってJR山陰本線と国道九号が並行して東西に走っており、それに沿う平坦地に総人口の六三パーセントが居住する。古墳時代中期の小規模古墳群である経塚山(きようづかやま)古墳群が口田儀(くちたぎ)の小丘陵に点在し、滑石製勾玉・棗玉・碧玉製管玉が多数出土している。古代から石見国との境である多岐々(たきき)山(出雲国風土記)に通う通路があったので、康和四年(一一〇二)源義親が鶴(つる)ヶ城を守ったと伝え、室町・戦国両時代の古戦場が多い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by