翻訳|sailing ship
風力を利用して帆で走る船。帆前船(ほまえせん)、帆掛(ほか)け船(ぶね)、帆走船(はんそうせん)ともいう。
[茂在寅男]
帆船の法律上の定義は、法律の目的に応じて規定されており、それぞれに内容には微妙な差違がある。すなわち船舶法施行細則第1条においては「主トシテ帆ヲ以(もっ)テ運航スル装置ヲ有スル船舶ハ機関ヲ有スルモノト雖(いえど)モ之(これ)ヲ帆船ト看做(みな)ス」と規定されている。また海上衝突予防法(1983年4月5日改正)第3条においては「この法律において『帆船』とは、帆のみを用いて推進する船舶及び機関のほか帆を用いて推進する船舶であって帆のみを用いて推進しているものをいう」と規定されている。
[茂在寅男]
人間が船を帆によって推進するようになったのはいつごろからであるかということは確実にはいえない。しかし船が風下に流されるという事実の認識から、最初は幅の広い植物の葉などを広げ、これに風を受けて風下に船を進めるという着想は、当然船が世に現れてまもなくあったものと思われる。少なくとも船の前に使われた筏(いかだ)も帆をつけて走ったことは証明されている。中国では、紀元前2000年ごろには帆を使っていたとされている。古代甲骨文字の一つに「凡」の字があるが、これは形から帆を表し、船首尾線に対して直角方向に立てた2本のマストの間に面をつくる形の帆が原形であるという。この形の帆はパプア・ニューギニアなどで現在も使用されている。材質は、記録では前漢(前202~後8)時代に莚(むしろ)が使われていたとある。これが布に発達して航行用とされるのは紀元後4世紀ごろからで、「帆」の字で表されるようになった。その読みはいずれにしてもfanであったことから帆船ということばが生まれた。莚帆から布帆に至る段階において、網代帆(あじろぼ)が使われた。これは薄く削った竹を斜めに編んで帆としたものである。場合によってはそれを二枚あわせて、その間にササの葉や莚を挟み込み、扇のように折り畳んで帆柱から帆を下ろすことができるようにしたものもあった。7世紀以後の遣唐使船などは、長期にわたってこの網代帆を使用していたことが知られている。
[茂在寅男]
帆の形は、大別して横帆(おうはん)と縦帆(じゅうはん)とに分けられる。マスト(帆柱)を船首尾線上に立て、同線と直角になるように張る帆が横帆で、日本の伝統的な帆掛け船すなわち大和(やまと)型帆船はこの方式である。これは追い風に都合がよく、逆風のときは帆を下ろし、櫓櫂(ろかい)で漕(こ)いで船を進めることが必要である。また船首尾線方向にマストから後方に向かって張る帆が縦帆で、帆走ヨットの大部分がこの方式である。これは逆風の場合にも、帆の操作だけで船を風上の方へ進めることができる点に長所がある。帆船の形態の発達は、基本的には横帆と縦帆の組合せ方によったともいえる。
[茂在寅男]
絵として完全な帆船の姿を残している太古の船は、紀元前2000年前後のエジプトのナイル川の帆船を描いた壁画によってようすがわかる。船体の中央より前の方にA字形に組み合わせたマストを立ててステー(支索)によって前後に支え、これにヤード(帆桁(ほげた))で支えた一枚の横帆を張ったものである。その絵には船首に測深棒を持ったパイロット(水先案内人)、船尾には櫂で舵(かじ)をとっている舵取りが描かれている。また航洋帆船としては、前1500年ごろのハトシェプスト女王時代のものが、テーベの神殿の壁画として残っている。その全長は21.5メートルと推定され、これによってプント(北ソマリア)へ五隻の船団をもって貿易のための航海をしたと碑文に書かれている。さらにギリシアで発掘された「黒絵の酒杯」に描かれた前700年ごろのガレー船などで、西洋における古代帆船のようすが知られる。
東洋では中国におけるジャンクと称する帆船が、紀元前からその形態を確立して広く使われた。西洋の古代帆船の大部分が横帆方式であったのに対し、中国のジャンクは基本的に縦帆方式で発達した。その船体構造は、船首尾線に対して直角に垂直板を固定的に何枚か設置して隔壁をつくり、これによって浸水に対する安全とともに船体の横強度を強めた点に特徴がある。またキール(竜骨)の有無については、従来平底でキールのないもののみが知られていたが、河川用ジャンクは平底が大部分であるものの、航洋ジャンクは宋(そう)、元(げん)時代においてすでにキールの役目をする縦通材が船底中央に設置されていたことが、1973年に福建省泉州沖から発掘された古船によって確認された。現在のジャンクも航洋船(主として南中国のもの)はこの方式のものが多い。
日本においては、古墳壁画などによって古墳時代以前の船のようすがわかるが、帆船としての船絵は少ない。しかし福岡県珍敷塚(めずらしづか)古墳壁画や、同所近くの鳥塚古墳の壁画などには、帆と思われるものが描かれている。そのほか実際には櫂も帆も描かれていない船絵の壁画が多くみられるが、そのなかには双胴船(カタマラン船)が相当あり、これらは基本的に帆船であったであろうと推定される。
[茂在寅男]
実質的な帆船の大きな発達は、15世紀のポルトガルのエンリケ航海王子以来開始されたといえる。彼はインドへの新航路発見を一生の仕事と考え、これについてあらゆる努力をしたが、そのなかの一つに帆船の改良があった。それまでの帆船は、追い風のときには横帆をあげることによってよく走ったが、逆風になった場合には帆を下ろして櫂で漕がなければならなかったために、船体を大型にすることができなかった。しかしエンリケは、当時地中海の東部レバント地方で漁船が使用していた三角帆すなわち縦帆の有効性に着目し、これを航洋船に取り入れることによって、逆風に対しても櫂を使わずに、帆の操作のみによって船を進めることが可能であることを確認した。これによって3本マストに縦帆を張ったキャラベル船を大型につくることに成功した。
しかしその後、縦帆(南方型)船が逆風には都合がよいが、追い風のときに効率が悪いことを知り、3本マストのいちばん前にだけ横帆(北方型)を張り、また同時に横帆も、帆桁をマストを支点として回転できるようにして船首尾線に対して自由な角度に張れるようにし、効率のよい大型帆船へと改良を加えていった。エンリケの時代から約200年間で、十数人乗り程度の小型船が100トンほどのものにまで大型化することができた。これによって、いわゆる大航海時代の実現をみるに至った。
しかし、帆船としての目覚ましい活躍期は、アメリカのフルトンが1807年にハドソン川において初めて蒸気船を走らせ、交通革命を開始した後で、「帆船の黄金時代」とよばれた時期であった。
19世紀に入るとともにアメリカの発展は目覚ましく、それに伴い交通量が激増した。そのため、それまで大型船と考えられていた400トン程度の船が1840年ごろには1000トンを超し、1850年には2500トン級にまで大型化した。さらに1848年カリフォルニアに金鉱が発見されてゴールド・ラッシュが起こり、アメリカ東西間における人や物資の運搬が、陸上輸送よりは、ホーン岬の南を回っても海上輸送のほうが勝ったことから、ここに一つの大型快速帆船競争がおきた。このアメリカの快速帆船はホーン・クリッパーとよばれた。
一方、オーストラリアでも1851年に金鉱が発見され、イギリスの快速帆船の出現を刺激した。これは、イギリス船によるオーストラリア往復輸送が多くなったためである。その復路、オーストラリアから羊毛を大量に運んだことからウール・クリッパーとよばれた。さらに自由貿易主義の発展によって、中国から新茶をイギリスへ輸送するためのティー・クリッパーとよばれた船で、一刻を争う快速輸送競争が大規模に行われるようになった。
以上の競争のために、船体も帆装も大きな変化をおこした。まず船首の形状は、クリッパー型船首という帆船に最適の形が生み出された。横から見ると上部が長く前方に突き出した形で水切りをよくし、バウスプリット(槍(やり)出し――船首から斜め前方に突き出している円材)も、船の大きさに対して帆を張る面積を大きくするためにもっとも有効な形につくられた。
[茂在寅男]
船体材質については、最初木造だったものが木鉄構造船となり、最後には鉄船が多くなった。マストやヤードについても木から鉄にかわった。
帆装については、16世紀におけるシップ型帆船から発達してバーク型になり、一方キャラベル船から発達してバーケンティン型が生まれた。また、それまで一枚だったトップスルとトゲルンスルを上下二枚にし、トゲルンスルの上にロイアルをあげるのは当然のこととなった。それに各帆の横には、袖(そで)になる形でスタンスルという追加の帆を張り、船の両側外部下には、水面近くまでウォータースルという帆を追加した。また速力を増すため、ロイアルの上にスカイスルを追加、さらにその上にムーンスルと名づけた小横帆を追加した。こうして、帆船ながら22ノット(時速40.7キロメートル)のレコードを樹立した船(1853。ソブレイン・オブ・ザ・シーズ号)もあった。
しかし、1869年のスエズ運河の開通によって、この帆船黄金時代には終止符が打たれ、航洋船は日程どおり航海できる汽船にその座を譲った。これは1914年にパナマ運河が開通したことによって決定的なものとなった。
その後においては、沿岸用の小型輸送船のほか、スポーツ用のヨットなどに帆船の名残(なごり)をとどめることとなったが、航海に関する基本的な事項を学べることと、自然から学ぶロマンが帆船によってこそ得られるという観点から、各国とも練習船(日本では日本丸、海王丸など)として大型帆船をもつようになって今日に至っている。
さらに、自然力を利用する帆船にもう一度注目して、1978年度(昭和53)から日本舶用機器開発協会が開発を進めた新しいタイプの「省エネルギー船」の一つとして建造した、帆走貨物船が成功を収めていることも無視できない。1986年現在、日産丸(699総トン、2098排水トン、全長77メートル)など2000排水トン級の内航船が多いが、2万トン級の船も建造中である。
[茂在寅男]
ベクトルを使って (1)′(2)′、 で説明する。 の場合は、かならず風が帆の裏側から入って帆を前の方へ膨らます形でなければならず、 の(3)や(4)の形では前進しない。もし帆が平板であるとすると、風の方向と船首方向との二等分線上に帆の面がくるようにすれば前進力は最大に得られることになる。しかし実際には帆の形は平板ではないので若干の相違はある。 -(2)について説明すると、ベクトル図は -(1)になる(角度の関係は -(2)′)。風の全力をaで示すと、帆の面に直角なcと帆の方向bの二つに分けられる。bは単に流れ去るだけで、cによって帆は裏から表の方へ押される。このcの力を -(2)ではわかりやすくするために若干大きく示したが、これは船首方向へのdと、横方向へのeの二つの力に分けられる。 で示したように、船は前後方向に動きやすく、左右に動きにくくできているので、dによって船首方向に向かって進むのである。eの力で横流れするのを防ぐために、帆船では水に深く入るキールやセンターボードをつける。
は、たらいの真ん中にマストを立てた場合であるが、これは帆をどのように張ろうともたらいは単に風下に流されるだけである。しかし のように船の場合は、船首尾方向にだけ動きやすいようにできている。これを横方向へは全然動けずに、前後方向にだけしか動けないと仮定して理論を考えると考えやすい。そしてその中央にマストを立てた場合を考えたのが である。帆を風に対して直角に張れば、船がどちらを向いているかによって、その船の動きが図のようになることが理解されよう。この場合に帆の張り方を のようにすると船は前進するのであるが、その理論を[茂在寅男]
まず法規のうえからみれば、帆船といえどもその船体構造などについては、基本的に一般船舶に要求される船体構造と設備などに関する規程のすべてを満足しなければならない。そのうえで、帆船には帆船独特の規程(たとえば船舶設備規程145条など)が若干加わることになるが、その詳細については管海官庁の指示によるとされる部分が多い。ここでは、帆船特有の特徴ある甲板とマストについてのみ解説することとする。
[茂在寅男]
キールとともに、船の前後方向の力すなわち縦強度の主力となる意味ももち、船首から船尾まで段差のない全通甲板がその中心的役割を果たす。また同時に、雨水や波浪に対して水密方式になっている。甲板は、木甲板と鋼甲板とに大別される。木甲板は、木または鋼材のビーム(梁(はり))の上、または鋼甲板の上面に木材(チーク材)を張る方式のもので、乗組員にとって接触感覚がよいこと、防熱効果が高いことなどの利点があるが、材料が高価であるため近年は鋼甲板のままのものが多くなった。また帆船時代に出現した数層になっている甲板や、フォックスルデッキ(船首楼甲板)、ウェルデッキ(井戸型甲板)、プープデッキ(船尾楼甲板)など部分的に分けてつくられている甲板は、現在の汽船においてもそれらの原型を踏襲しているものが多い。
[茂在寅男]
初期におけるマストは、1本の木で1本のマストとしたが、船体の大型化が進むにしたがってマストを1本の木ですますことは困難になってきた。そこで何本かの木を束にして鉄帯で締め付けて1本にしたマストが、キャラック船(15~16世紀に地中海沿岸で用いられた大型武装帆船で、ガレオン船の一種)時代から現れた。その次の段階として、縦に3本ほどの短いマストを継ぎ合わせて長いマストをつくりあげる方式が採用され、現在に至っている。その継ぎ合わせ方としては、ロアーマスト(最下部)の上部前方に次のマストの足がくるようにしてトップマスト(中間部)を継ぎ足し、さらにその前方に次のマストの足がくるようにしてゲルンマスト(最上部)を継ぎ足す。また風の力はかならずマストの後方から前方へ押す形になるので、これに対する強度を増すために、マスト全体を若干後方に上部が傾く形でこれを立てる。このためステーも、マストの両側へ、マストより後方に何本もの索でこれを引き止める形をとるが、前方へは各マストごとに1本ずつのステーを船体中央部にとるのにとどまる。以上のことはバウスプリットについてもいえる。
[茂在寅男]
『茂在寅男著『船と航海』(1972・ポプラ社)』▽『山口良次著『帆船』(1972・毎日新聞社)』▽『田中航著『帆船の時代』(1976・毎日新聞社)』▽『篠原陽一著『帆船の社会史』(1983・高文堂出版社)』▽『荒川博著『帆船への招待』(1986・海文堂)』
帆に風を受けて走る船。6000年をこえる船の歴史を通じて帆船はその中心的存在であったし,19世紀後半の急成長する工業と世界貿易を支えた動脈も近代的な大型商業帆船であった。この時期は旅客と郵便物,生鮮食料などの輸送を中心に汽船の優位が確立されてきた時代に当たるが,それでも1886年の全世界の汽船船腹約1000万総トンに対し帆船は1200万総トン(いずれも100トン以上の船のみ。ロイド船級協会統計による)にのぼり,貨物輸送の主力は帆船であったことがわかる。しかしこの時期の大活躍を最後に航洋帆船は世界の海から姿を消し,20世紀は汽船の時代となった。それでも沿岸海運や漁業などにはその後も帆船は健在で,日本では昭和10年代まで実用されたし,開発途上国などでは現在でも広く使われている。さらに最近ではエネルギー危機を背景に商業帆船を見直そうとする動きもある。一方,スポーツ用の帆船(セーリングヨット)は実用帆船の退場と逆比例する形で発展し,現在では質量ともに帆船の主力をなすに至っている。
なお,ディーゼルエンジンなど内燃機関の普及に伴い,現在の帆船は実用,スポーツ用を問わず推進機関を有するものが多い。小馬力でも出入港や狭水路航行,無風時の航海にはきわめて有効である。さらには機帆船などのように帆は補助であって航行中は常時機関を運転する船がある。こうなると帆船の定義が問題となるが,主として帆で走らせる船は機関の有無によらず帆船であるとする解釈がふつうである(例えば〈船舶法施行細則〉1条3項)。
舟を進める最初の手段は人力でこぐことだったにちがいない。やがて風が後ろから吹いていると楽にこげること,それは風が押してくれているからだと気づく。それなら何か大きいものを広げるとこがずに走れるだろう。こうして生まれた最初の帆は風が後ろから吹くことを前提にしているから,四角な帆を左右両玄にわたって対称に張る形になる。いわゆる帆掛舟の帆でこれが横帆である(図1-a)。使ってみると横帆は追風と限らず,斜め後ろからの横風,さらには少し前寄りの風でも使えることがわかってきた。横帆は帆船の全歴史を通じて使用され,船の大型化とともに多数の横帆を上下に配置し,またマストも何本も前後に並べることになった。人力で操作するには1枚の帆をあまり大きくできないからである。
前寄りの横風を横帆で受けようとすると帆の風上側の縁(ふち)が揺れ動いてうまく張れない。このため横帆では現代のヨットのように鋭い角度で風上へ走ることができない。航洋帆船は季節と航路を選んで逆風を避けることができるが,変化の多い沿岸風の中を動き回る帆船ではこの横帆の欠点は問題だった。そこで一つのくふうとして,帆の上辺を支える横木(ヤード)を傾けて風上になる縁を短くすることが行われた。こうしてラテン帆(ラテンセール)が生まれ,短い縁は消えて三角帆になったのも多い。この帆では短い縁をいつも風上側(船首側)に突き出すから,右からの風と左からの風では風を受ける帆の面が裏表逆になる。そのような帆を縦帆という(図1-b)。横帆では右風でも左風でも風を受ける面は変わらない。
ラテン帆はアラブ人の発明らしく,イスラム教圏の拡大とともに中世の地中海にまず普及し,15世紀以降大航海時代のヨーロッパ諸国の帆船に大きい影響を与えた。日本では安土桃山時代の朱印船の船尾マストに採用されている。また現在でも中近東からアフリカ東岸の帆船はもっぱらこの帆を使っている。
ラテン帆の最大の欠点は,風を受ける玄を変えるときその長大なヤードをマストの反対側に移す大仕事であろう。そうしないと帆がマストに押し付けられてうまく風をはらまない。ラテン帆を船尾マストに使ったヨーロッパ列強の帆装軍艦は300年間この不便に耐えたのち18世紀になって解決を見いだした。すなわち,マストより前の帆をなくしてしまうことである。当然ヤードも前半分は不要になるから消失し,マストの船尾側,斜め上向きに突き出す帆桁,すなわちガフで上辺を支える新しい縦帆が生まれた。これがガフセールである(図1-c)。これならば風を受ける玄を変えるときにも帆綱(シート)を引いたり緩めたりするだけでよく,まったく簡単である。
ガフセールにはもう一つ別の母体があるといわれている。それはスプリットセールで,沿岸や内水面の小型帆船に古くから使われていた(図1-d)。マストの根もとあたりから船尾側に斜め上向きに長い棒(スプリット)を突き出し,それが対角線になるよう四角形の帆を張る。この帆も完全に縦帆だが,風を受ける玄によって一方では帆がスプリットに押し付けられて形が悪くなる。このスプリットをマストの上のほうへ上げて帆の上辺を支えるようにするとこの欠点が除かれる。これはガフセールにほかならない。オランダではすでに17世紀にはこの形のガフセールが小型帆船に使われていたから,大型軍艦の船尾マストのガフよりだいぶ古いことになる。いずれにしてもガフセールは扱いやすくて性能のよい縦帆で現在まで広く使われている。ガフとマストの間の三角形の空所を埋めるガフトップスルは軽風用の補助帆でガフセールと組み合わせて使う。
ガフセールと同時代にヨーロッパで発明され普及したもう一つの縦帆はジブである。マストの上部から船首に向かってロープを張ってマストを支えるが,このロープに三角形の帆を掛けるとジブになる(図1-c)。カーテンの金具のようながんじょうなものを適当な間隔でジブセールの前縁に取り付け,ジブはマストを支えるロープに沿って上下する。三角形の後ろの下の隅が自由端になるが,ここから普通は左右両玄に帆綱(ジブシート)を引き,風下玄のほうを張るとジブはきれいな曲面を作って風を受ける。これもたいへん扱いやすくて性能のよい縦帆で,大型小型を問わず,ほとんどすべての西洋型帆船に使われている。2本以上のマストがある場合には後ろのマストから前のマストの根もとに支索を張り,同様な帆を掛けるが,これをステースルといい,横から前寄りの風に有効な働きをする。
第1次世界大戦後,スポーツ用帆船,すなわちヨットが盛んになった。ヨットはほとんど純粋な縦帆船で,ガフセールとジブの組合せがふつうだったが,まもなくガフセールとガフトップスルを1枚にまとめてしまってガフ(帆桁)を省いた形式が生まれた。高いマストに沿って上下する背の高い三角形の帆になったわけで,ガフ帆装よりさらに取り扱いやすく,また風上へ走る性能が優れているので急速に普及した。バミューダ帆(バミューダセール)とかマルコニー帆装などと呼ばれているが,現在ではヨットの主帆(メーンスル)は何もいわなければこの形式と決まってしまった。ちょうど同時代に発達した飛行機の翼の流体力学が,この形の帆の進歩に果たした役割も無視できない。90度回して考えてみると,バミューダ帆と飛行機の主翼はまったくよく似ていて,流体力学の問題としては同じことになるのがわかる。
ここで目を東洋に転ずると,中国人は古くから独自の縦帆を有していた。一般にジャンク帆と呼ばれるもので,帆の上辺を支えるヤードに加えて,帆の途中にも竹の棒を全幅にわたって何段にも通して,帆の形を保持する構造が特徴である(図1-e)。この帆もガフセールに劣らず操作が簡単で,性能もよい。15世紀に東洋に達したヨーロッパの航海者たちが,この珍奇な帆装の中国帆船が示す自由自在の運動に強い印象を受けたことが記録に見える。現在でも英米両国のヨット設計者の中にこの帆装の熱烈な支持者がいるのは興味深い。
日本でも安土桃山の朱印船の絵馬では,この帆装が主力であるが,この技術がどれだけ日本の造船,航海の技術の中に消化され定着したかはおおいに疑問がある。この時代に続く江戸期に商品輸送の担い手となった弁財(べざい)型帆船,通称千石船は典型的横帆船でジャンク帆装の影響はまったく見られない。こうして日本における縦帆船の歴史は事実上,幕末・明治期に始まったと考えてよい。それは西洋から輸入されたガフセールとジブを主体とし,それにジャンク帆がしだいに取り入れられるという経過をたどったようである。なお,帆走の原理については〈ヨット〉の項目を参照されたい。
帆装置の様式分類や各種の帆の呼称などは,時代により,また地方によっても異なる点も多い。ここに述べるものは19世紀から20世紀にかけて英米両国を中心にでき上がったもので,現在の帆装分類としては一応標準的なものであろう。しかしすでに述べたラテン帆やジャンク帆なども含まれていず,また欧米でよく知られた帆でも小型漁船のラグセールやヨット用の特別な帆などもこの分類にはなじまない。帆装様式の分類とはそのようなものであることは留意すべきであろう(図2,図3参照)。
(1)シップship 3本または4本マストで,まれに5本のものもある。すべてのマストに多数の横帆を張り,最後部マストにはさらに小さいガフセールをもつ。船首に数枚のジブ,各マスト間にステースルをもつこと,また各帆の呼称方法などは次のバークと同じである。
(2)バークbarque,bark 3本または4本マストで,まれに5本のものもある。最後部のマストだけは横帆がまったくなく,縦帆のガフセールとガフトップスルがつく。その他のマストにはシップと同じく横帆がつき,船首には数枚のジブ,各マスト間にはステースルを展ずる。19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した航洋帆船の代表的様式である。
(3)バーケンティンbarquentine,barkenteen3本または4本マスト。最前部のマストのみバークと同じく全部横帆で,それ以外のマストはガフ,ガフトップスル,ステースルで,すべて縦帆である。
(4)ブリグbrig 2本マストに横帆を張り,後ろのマストには小さなガフセール,マスト間にはステースル,船首にはジブがある。シップ型を2本マストにしたもので,比較的小型で数百トンどまり。
(5)ブリガンティンbrigantine 2本マストで,前のマストに横帆を張り,後ろはガフとガフトップスルの縦帆のみで構成される。バーケンティンを2本マストにしたものと考えてよい。ヨットの場合ガフの代わりにバミューダセールを使うものもある。ブリグと同程度以下の大きさが多い。なお,ブリグとブリガンティンとトップスルスクーナーの様式分類はめんどうな議論の対象となるが,ここでは現代の常識的呼称に従った。
(6)スクーナーschooner 2本マストが原型であるが3本マストも広く使われた。さらに大型スクーナーでは最大7本マストまで建造されたがこれは例外に属する。すべてのマストに縦帆を展じ,横帆はない。商業帆船や漁船ではガフセールとガフトップスルが多く,ヨットではとくに後ろのマストにバミューダセールをよく使う。一般には船首から2本目のマストが主柱(メーンマスト)だが,原型である2本マストスクーナーではとくにこの後ろのマストに張るメーンスルが大きい。18世紀にアメリカ北東部で形をなし,全部縦帆なので操帆が容易で,風上に走る性能もよく,変化の多い沿岸や島の間の風を受けて動き回るのに適している。19世紀中にはほとんど全世界に広まり沿岸帆船の代表的帆装になった。日本でも幕末から明治,大正,さらに昭和10年代まで西日本を中心に広く使われた。
(7)トップスルスクーナーtops'l schooner スクーナーの前のマストの上のほうにだけ横帆を展ずる。このトップスルは荒天の追風にとくに重宝であった。なお,アメリカ東岸で生まれた初期のスクーナーは実はトップスルスクーナーだったらしい。
(8)ケッチketch 2本マストの小型帆船で前のマストが後ろのマストよりずっと大きい。2本とも縦帆を展じ,横帆はない。出入港など微速で複雑な操船をするとき,また荒天で帆面積を小さくしたいときにはメーンスルを下ろしてしまい,船首のジブと船尾のミズンセールだけで運航するが,帆が前後に十分離れていて,しかもバランスがよいので操船性能が優れている。漁船,航海用ヨットなどに賞用される。現代のヨットではバミューダセールが多い。
(9)ヨールyawl ケッチとよく似ているが,後ろの帆,すなわちミズンセールがケッチよりずっと小さい。伝統的な分類法では舵軸より前にミズンマストがあればケッチ,後ろだったらヨールということになっている。
(10)カッターcutter 帆装様式の名称としてのカッターは1本マストの縦帆船で,2枚以上のジブの類をマストの前に展ずるものをいう。現在のヨットに広く使用されている形の一つで,ふつうはバミューダメーンスルと,マストの前にステースル(インナージブ),その前にジブと合計2枚の船首三角帆(ヘッドスル)をもつ。
(11)スループsloop 帆装様式の名称としてのスループは1本マストの縦帆船で,メーンスル1枚,ジブ1枚のものをいう。もっとも単純明快なヨットの帆装で,ごく小型のものから十数mに達するものまで広く使われている。現在ではほとんど例外なくバミューダメーンスルである。
(12)キャットcat この名称はアメリカ東部でよく使われてきた1本マストにガフセール1枚だけを展ずる小型ヨットを指すが,転じて現在ではジブをもたない帆装をも意味するようになっている。2本マストにそれぞれ1枚ずつのバミューダセールを展じ,ジブの類をもたないものをキャットケッチといったりする。
→船 →和船
執筆者:野本 謙作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…古代エジプトやバビロニアでは,すでに運河が造られ,帆を用いる船が使われていた。海という通路と風という自然の力を使う帆船は,古代オリエント社会でもっとも便利な交通手段であった。紀元前600年ごろ,地中海には帆と櫂(かい)を使った軍船(ガレー船)が往来した。…
…これは古代以来の伝統をもつ軍用船であるが,商船としても用いられた。重い商品は帆船で輸送された。最近の研究では香料のほかに塩,ブドウ酒,穀物,皮革など日常生活に必要な品物が大量に輸送されていたことが指摘されている。…
…すでに遣唐使の記録から推察されるように,7世紀には中国や朝鮮半島には当時の日本よりはるかに優れた大型船建造の技術があった。しかしそれはおそらくサンパンを基本とする北方系の箱形構造船であり,前述のアラブ船の影響を受けて,より航洋性の高い南方中国系の帆船ができ上がるのは8~9世紀のことではないだろうか。次の宋代になると書かれた記録があり,また1973年に福建省で12世紀と推定される実物が発見されたので船型,構造がかなりよくわかってきた。…
※「帆船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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