日本歴史地名大系 「簸川郡」の解説 簸川郡ひかわぐん 面積:三〇二・九六平方キロ(境界未定)斐川(ひかわ)町・大社(たいしや)町・湖陵(こりよう)町・多伎(たき)町・佐田(さだ)町明治二九年(一八九六)神門(かんど)郡・楯縫(たてぬい)郡・出雲郡が合併して成立。同二三年の「郡制施行目的並順序」によれば、当初簸川(斐伊川)の川下にあたるため簸下(ひのしも)郡という郡名が予定されていたが、多くの反対があったため簸川(ひのかわ)郡とされ、のち「ひかわ」とよぶようになった。成立当初は東は当郡と同時に成立した八束(やつか)郡・大原郡と穴道湖、南は飯石(いいし)郡、西は旧石見国の安濃(あの)郡に接し、北西から北は日本海に面していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by