日本歴史地名大系 「多古道」の解説 多古道たこみち 千葉県:総論多古道香取郡多古村(現多古町)に通じた近世の街道の総称。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)には森山(もりやま)村・岡飯田(おかいいだ)村(現小見川町)から徳川家康に献上する柑子を送付する道筋として府馬(ふま)(現山田町)―鏑木(かぶらき)(現干潟町)―大寺(おおでら)(現八日市場市)―多古―臼井(うすい)(現佐倉市)―大和田(おおわだ)(現八千代市)―船橋―八幡(やわた)(現市川市)―市川などがあげられ、江戸浅草まで運ばれている(谷本家文書)。また文禄元年上代(かじろ)郷(現東庄町・干潟町)に入った松平家忠が江戸と往来するのに佐倉経由で船橋に出て江戸湾を船で渡っていたようで(「家忠日記」同年三月一一日条など)、「多湖の橋かかり」に人足を派遣しているので(同書同二年一一月一八日条)、柑子輸送と同様の道とみてよかろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by