八日市場(読み)ヨウカイチバ

デジタル大辞泉 「八日市場」の意味・読み・例文・類語

ようかいちば〔やうかいちば〕【八日市場】

千葉県北東部にあった市。九十九里平野北部の市場町として発展。平成18年(2006)1月野栄町と合併して匝瑳そうさ市となった。→匝瑳

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精選版 日本国語大辞典 「八日市場」の意味・読み・例文・類語

ようかいちばやうかいちば【八日市場】

  1. 千葉県北東部の地名。九十九里平野の市場町として発達。藍・木綿(きわた)栽培、養蚕で知られた。現在は工業団地が進出、園芸農業も盛ん。昭和二九年(一九五四市制

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日本歴史地名大系 「八日市場」の解説

八日市場
ようかいちば

戦国期甲府城下町の東端、一条小いちじようこ山に隣接する現在の愛宕あたご町と中央ちゆうおう二丁目(江戸時代の横近習町)の間付近に比定される。長禅ちようぜん寺付近にあったとの異説もある。「一蓮寺過去帳」には天文五年(一五三六)正月一〇日供養の敬仏房に八日市の記載がある。弘治二年(一五五六)一〇月一〇日、武田氏は「八日市場」の「夜廻之番」を定めた。この武田晴信結番法度(坂田家文書)によれば、当市場住人のうち四〇人が一三番に編成され夜回役を負荷され、当番の日に盗賊が出た場合には銭一〇〇疋(一貫文)を罰金として支払うこと、火事が起きた場合失火であれば家主を追放し、盗賊による放火の場合は罰金を支払うこと、しかし夜回番が免除されている家から出火したり盗賊の被害が出てもそれを番衆の責任にはしないことなどが決められ、厳しい秩序維持が指示された。


八日市場
ようかいちば

[現在地名]宇都宮市駅前通り二丁目・南大通り一丁目

宿郷しゆくごう村のうち、道場宿どうじようしゆく(水戸街道)の町並を八日市場とよんだ。東は川向かわむこう町に続き、西は川を越えて押切おしきり町に続く。宿郷村の内であるが、城下の町として扱われることも、助郷役を負担する村方の扱いを受ける場合もあった。古くは城の東部の奥州街道沿いに市が開かれていたが、元和六年(一六二〇)本多正純の町割替え・城郭拡張により現在地に移転したと伝える。正徳年間(一七一一―一六)の宇都宮領村々諸割物高付覚帳(五月女久五文書)では、縄莚藁猫太等納高二四〇石余、用水川除普請往還人馬勤高は簗瀬村と共同で九六三石余、御城廻急御用高も同様九六三石余、山家役は免除。


八日市場
ようかいちば

[現在地名]山梨市小原東 八日市場

青梅おうめ往還が秩父ちちぶ往還に合流するすぐ北東に位置する。原八日市場はらようかいちばともよばれ、中世以来交易の場として三・八の日に市が開かれ、近世までその賑いをみせていた。「一蓮寺過去帳」の寛正二年(一四六一)頃供養の幸阿弥陀仏に八日市場と注記されるが、当地のことか。八日市場は古屋氏によって管理されていたが、同氏は隣接する連方れんぽう屋敷に居住し、周辺に多くの同族をもち、武田氏の蔵前衆を勤めた。天正一〇年(一五八二)一一月二七日、古屋甚五兵衛は徳川家康から本給として手作前七貫五〇〇文と「市之諸役」を安堵され、またそれより先、同年八月六日には原八日市場七貫文・手作前一三貫文も安堵されている(一一月二七日・八月六日「徳川家印判状写」国立史料館蔵依田家文書「感状写」)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八日市場」の意味・わかりやすい解説

八日市場
ようかいちば

千葉県北東部にあった旧市名(八日市場市)。現在は匝瑳市(そうさし)の北部を占める地域。九十九里平野北部に位置する。1954年(昭和29)八日市場町と豊栄(とよさか)、須賀(すか)、匝瑳、豊和(とよわ)、吉田、飯高(いいだか)、共興(きょうこう)、平和、椿海(ちんかい)の9村が合併して市制施行。2006年(平成18)匝瑳郡野栄町と合併し、匝瑳市となった。旧市域は中央部をJR総武(そうぶ)本線と国道126号、296号が通じる。北部には貝塚が多く、縄文時代の丸木舟(県指定文化財)も発見された。古代、南条荘(しょう)、北条荘、千田(ちだ)荘に属し、中世は千葉氏の一族匝瑳氏が治めた。16世紀後半、定期市(いち)が開設され、周辺農村を相手にした市場町として発展した。江戸時代に幕府直轄地、旗本領地となる。北東部は、1670年(寛文10)に、当時湾入であった椿海(つばきうみ)を干拓して水田に変え「干潟(ひかた)八万石」とよばれた地域の一角をなした。1951年完成した大利根用水(おおとねようすい)によって九十九里平野の水田農業は安定し、現在米作を中心にマキなどの植木栽培、養豚、ゴボウ、ネギ、ミニトマトなどの野菜生産も盛んになり、セリやハス田も多い。成田国際空港に近く、八日市場工業団地や住宅地も造成され、新たな地域変化を遂げつつある。太平洋に面する海岸には海水浴場、国民宿舎、民宿があり、海水浴客のほか海釣りの客も多い。江戸時代に日蓮(にちれん)宗の学問所で飯高檀林とよばれた飯高寺(はんこうじ)の講堂、鐘楼、鼓楼、総門、長徳寺(ちょうとくじ)の絹本著色普賢延命(ふげんえんめい)像、同愛染明王(あいぜんみょうおう)像は国の重要文化財に指定されている。

[山村順次]

『『八日市場市史』全2巻(1982~1987・八日市場市)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八日市場」の意味・わかりやすい解説

八日市場
ようかいちば

千葉県北東部,匝瑳市北部の旧市域。九十九里平野北部にある。 1954年八日市場町と豊栄村,須賀村,匝瑳村,豊和村,吉田村,飯高村,共興村,平和村,椿海村の9村が合体して市制。 2006年野栄町と合体して匝瑳市となった。近世に市場町として発展,八日市場木綿の産地としても知られた。明治以後,クワ園の拡大で養蚕業に転換,裁判所,郡役所が置かれ地方行政の中心地となった。大利根用水の完成によって田畑の生産力が向上し,米,タバコ,サツマイモを多産,また園芸農業,養豚も盛ん。マキ (槇)の植木栽培地としても知られる。飯高寺 (講堂,鐘楼,鼓楼,総門) は国指定重要文化財。

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百科事典マイペディア 「八日市場」の意味・わかりやすい解説

八日市場[市]【ようかいちば】

千葉県北東部の旧市。1954年市制。太平洋に臨み,九十九里平野から下総(しもうさ)台地にわたる。中心市街は近世以来市場町,八日市場木綿の集散地として発達,総武本線が通じる。米作,野菜,植木栽培が盛ん。1982年造成された工業団地があり,電気機器などの工場が立地している。2006年1月,匝瑳郡野栄町と合併し市制,匝瑳市となる。80.75km2。3万2696人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「八日市場」の意味・わかりやすい解説

八日市場 (ようかいちば)

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