多古銚子道(読み)たこちようしみち

日本歴史地名大系 「多古銚子道」の解説

多古銚子道
たこちようしみち

多古宿(現多古町)と銚子を結ぶ匝瑳そうさ郡経由の道。延宝六年(一六七八)網戸あじと(現旭市)などの境論裁許絵図および裏書(網戸区有文書)に銚子海道とみえ、元禄八年(一六九五)徳川光圀の一行三三四名は多古より飯高いいだか(現八日市場市)を経て太田おおた(現旭市)に一泊し、翌日蛇園へびそね(現海上町)垣根かきね(現銚子市)を回って利根川沿いに銚子に行き、また戻って野尻のじり(現同上)に宿泊し、翌日この河岸から船で常陸土浦に向かっている(網戸区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む