多村(読み)おおむら

日本歴史地名大系 「多村」の解説

多村
おおむら

[現在地名]田原本町大字多

みやもり村の南、飯高ひだか(現橿原市)の東に位置。「多」は「和名抄」に載る十市郡飫富おふ郷にかかわると思われる。建保三年(一二一五)一〇月五日の徳阿弥陀仏田地売券(天理市武蔵の三宅文書)端裏書の「タチマ」、天福元年(一二三三)極楽寺本堂柱銘の「十市郡西郷廿条二里十坪 字達石」は現小字タシマ・坂シ(達石は逆石の誤写)に該当する。

慶長郷帳の村高は六六九・一八石で、うち五八〇・三三石が旗本鈴木(重時)氏領、二一・一八石が旗本疋田右近領、六七・六七石が幕府領(代官角南重勝)である。鈴木氏領は慶長一二年(一六〇七)家が絶えて幕府領(代官間宮三郎右衛門)に編入された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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