多田名(読み)ただみよう

日本歴史地名大系 「多田名」の解説

多田名
ただみよう

中世山門やまと院内の名で、現在の多田を遺称地とし、一帯に比定される。弘安一一年(一二八八)五月二一日の別府・多田両名主代行蓮請文(新田神社文書)によれば、新田八幡宮の常見例立用免田である山門院の募足七石五斗のうち、別府・多田両名の所当米は八分の一にあたる九斗三升七合五勺であった。また建治三年(一二七七)から弘安一〇年までの一一年間で、両名の未進は二石一升七合に及んでいた。南北朝期と推定される二月二三日の島津師久書状(旧記雑録)によると、莫禰彦太郎入道成因跡である「山門院之内多田名々主職」などが渋谷河内権守と東郷左京亮に与えられている。平姓市来崎氏庶流系図(樺山玄佐自記並雑丁未随筆)によれば山門秀忠の娘虎王が秀忠より多田・別府両名の名主職を譲られ、莫禰郡司の室となったといい、莫禰成因跡とあることと関係があるのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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