日本歴史地名大系 「山門院」の解説
山門院
やまといん
古代の出水郡内に成立したと考えられる院で、領域は現在の
薩摩国建久図田帳によれば田積は二〇〇町、この二〇〇町は老松庄二四町四段・公領一七五町六段とからなり、公領は島津庄寄郡の一つで光則(名)一三三町六段・弁済使分二七町・高橋(名)一五町で構成されていた。承久三年八月二一日の薩摩国庁下文(旧記雑録)によれば、当院は八幡新田宮放生会において「自橋本至于宮原中」の道普請ほか騎兵一人・出馬一疋・松一〇〇把・相撲二人などを負担、また弘安七年(一二八四)一一月日の天満宮・国分寺恒例神事次第(国分文書)では天満宮・国分寺(現川内市)の正月の吉祥御願では飯八斗・餅四〇枚・炭一古ほか、二月の御霊会では霊供米二升・騎兵一人・競馬一疋・相撲二人ほかを負担していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報