多田木村(読み)ただきむら

日本歴史地名大系 「多田木村」の解説

多田木村
ただきむら

[現在地名]足利市多田木町

大小だいしよう山の南方の多田木山(独立丘陵)南麓一帯に位置し、南西奥戸おくど村。南端出流いずる川が西南流し、対岸村上むらかみ(現佐野市)。同川に沿って例幣使街道が通る。只木とも記す。享徳三年(一四五四)一二月に始まる享徳の乱に際し、康正元年(一四五五)と推定される一二月一三日の足利成氏書状写(正木文書)に「只木」とみえ、同年六月から古河公方足利成氏方と上杉方(幕府軍)が当地の只木山から天命てんみよう(現佐野市)にかけて対陣し、一二月の合戦で成氏軍の勝利に帰している(「足利成氏書状写」武家事記など)。この時、上杉方が籠った多田木砦は多田木山東側の山丘裾部を利用したもので、約一二〇メートルの二段状帯郭跡や腰郭・井戸跡などが残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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