日本歴史地名大系 「多田野村」の解説 多田野村ただのむら 福島県:郡山市旧逢瀬村・片平村地区多田野村[現在地名]郡山市逢瀬町多田野(おうせまちただの)河内(こうず)村の南西、奥羽山脈東縁の山間に立地。集落は山間に開けた小盆地に点在。只野とも記す。郡山から猪苗代湖岸へは当地の三森(さんもり)峠越・御霊櫃(ごれいびつ)峠越の二道がある。縄文時代の三森峠・大将籏(たいしようはた)・八頭(やがしら)・庚申原(こうしんはら)・火の口(ひのくち)の諸遺跡がある。応永一一年(一四〇四)七月日の仙道諸家一揆傘連判(有造館本結城古文書写)に「多田野 沙弥聖久」とみえる。永享一一年(一四三九)頃のものと推定される安積三郷田地注文(相殿八幡文書)の南郷のうちに「多田濃 七丁」とみえる。天正一七年(一五八九)二月二五日、伊達政宗は片平親綱に当地の在家などを与えている(「伊達政宗判物写」貞山公治家記録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by