多門村(読み)たもむら

日本歴史地名大系 「多門村」の解説

多門村
たもむら

[現在地名]芸濃町多門たもん

雲林院うじい村の東南、安濃あのう川の右岸に位置する江戸時代初頭の新村。雲林院村の出屋敷が発展した村落といわれる。寛永一六年(一六三九)の忍田区有文書に「河内山ニ付テ 多門村出入相定ル覚」の一文があり、多門の名が現れるが、同文書正徳三年(一七一三)山論に関して「元来多門村之内東原と申処、雲林院村より弐人出屋敷仕居申候」とある。また安永四年(一七七五)の「勢陽在名集」には「雲林院ノ内 多門」とあり、古来一般に雲林院多門うじいだもとよんできた。

慶長一三年(一六〇八)以後津藩領、寛文九年(一六六九)以後久居藩に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む