日本大百科全書(ニッポニカ) 「大中之湖干拓地」の意味・わかりやすい解説
大中之湖干拓地
だいなかのこかんたくち
滋賀県琵琶湖(びわこ)東岸の付属内湖の干拓地。近江八幡(おうみはちまん)市、東近江市にまたがり、面積約1300ヘクタール。1946年(昭和21)に国営事業として開始されたが、漁業補償の問題や13号台風(1953)などによって計画が変更され、1957年から特定土地改良事業特別会計によって本格的に着工、1964年に干陸、1968年に竣工(しゅんこう)した。当初は216戸の入植者に4ヘクタール、147戸の増反(ぞうたん)者に1ヘクタールが配分された。1970年代になって米の生産調整を契機に米作からの脱皮を図り、現在では西日本有数の畜産団地が形成され、また施設野菜などにも力を入れている。縄文時代から平安時代以降にまで続く大中の湖南(だいなかのこみなみ)遺跡は国の指定史跡。
[高橋誠一]
『『琵琶湖干拓史』(1970・同書編纂事務局)』