大交野庄(読み)おおかたののしよう

日本歴史地名大系 「大交野庄」の解説

大交野庄
おおかたののしよう

交野郡内にあった山城石清水いわしみず八幡宮領の庄園。平安末期のものと推定され、奈良興福寺別院円成院領星田ほしだ(現交野市)の関係文書とともに伝わる欠年正月七日付河内守某書状(興福寺別当次第裏文書)に、「円城寺領大交野庄庁宣、進上之状如件」とある。石清水八幡宮領としては、天福元年(一二三三)五月日の石清水八幡宮寺所司等言上状(宮寺縁事抄)にみえるのが最初で、このとき大交野庄は、悪党らが興福寺東金堂衆と称して神領在家を焼払い、八幡宮神人を殺害したことを訴えている。当時、交野郡内には八幡宮の「交野五箇庄神人」が置かれ神事を勤めていたが(嘉禄三年八月一〇日「八幡宮寺所司等解」石清水皇年代記)、かれらと興福寺領住人との対立がこの事件に発展したのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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