大交野庄(読み)おおかたののしよう

日本歴史地名大系 「大交野庄」の解説

大交野庄
おおかたののしよう

交野郡内にあった山城石清水いわしみず八幡宮領の庄園。平安末期のものと推定され、奈良興福寺別院円成院領星田ほしだ(現交野市)の関係文書とともに伝わる欠年正月七日付河内守某書状(興福寺別当次第裏文書)に、「円城寺領大交野庄庁宣、進上之状如件」とある。石清水八幡宮領としては、天福元年(一二三三)五月日の石清水八幡宮寺所司等言上状(宮寺縁事抄)にみえるのが最初で、このとき大交野庄は、悪党らが興福寺東金堂衆と称して神領在家を焼払い、八幡宮神人を殺害したことを訴えている。当時、交野郡内には八幡宮の「交野五箇庄神人」が置かれ神事を勤めていたが(嘉禄三年八月一〇日「八幡宮寺所司等解」石清水皇年代記)、かれらと興福寺領住人との対立がこの事件に発展したのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

生命維持活動に必須なエネルギーの獲得や,成長に必要な有機材料を合成するために生体内で起るすべての生化学反応の総称。複雑な分子を単純な分子へ分解してゆく過程でエネルギーを獲得する分解代謝または異化 (カ...

代謝の用語解説を読む