大伴伯麻呂(読み)おおともの おじまろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大伴伯麻呂」の解説

大伴伯麻呂 おおともの-おじまろ

718-782 奈良時代公卿(くぎょう)。
養老2年生まれ。大伴道足(みちたり)の子。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年東大寺の大仏開眼会で大歌久米舞の舞頭をつとめた。上野守(こうずけのかみ),遠江守(とおとうみのかみ)などをへて,宝亀(ほうき)9年参議となる。天応元年衛門督(えもんのかみ)と中宮大夫を兼任。従三位。天応2年2月3日死去。65歳。名は「はかまろ」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典 「大伴伯麻呂」の解説

大伴伯麻呂

没年:延暦1.2.3(782.3.21)
生年:養老2(718)
奈良時代の官人。大伴馬来田の孫。道足の子。天平勝宝2(750)年従五位下。天平神護2(766)年右少弁ののち弁官などを歴任し,宮内卿を経て宝亀9(778)年参議。光仁天皇寵幸を受け,天応1(781)年正四位上に昇り,参議宮内卿で衛門督,さらに中宮大夫を兼ねたが,翌年参議従三位中宮大夫兼衛門督として65歳で没した。

(佐藤信)

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