パウルス・ディアコヌス(その他表記)Paulus Diaconus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パウルス・ディアコヌス」の意味・わかりやすい解説

パウルス・ディアコヌス
Paulus Diaconus

[生]720頃.フリウリ
[没]797頃.モンテカシノ
イタリアの歴史家。ランゴバルド族貴族の出身。モンテカシノ修道院に入ったのち,デシデリウス王の宮廷顧問官として仕えた。ランゴバルド王国滅亡後,一時はカルル1世 (大帝) に仕えたが,のち著作に専念中世に愛誦された『説教集』 Homiliarumや,364~553年の『ローマ史』 Historia Romana,伝承,口碑を記した『ランゴバルド史』 Historia gentis Langobardorumなどが有名。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パウルス・ディアコヌス」の解説

パウルス・ディアコヌス
Paulus Diaconus

720頃~779頃

カロリング・ルネサンス学者ランゴバルド人。ベネディクト修道会員。カール大帝の宮廷で学芸を指導し,のちモンテ・カッシーノ修道院で『ランゴバルド族史』『グレゴリウス伝』などを著述した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パウルス・ディアコヌス」の意味・わかりやすい解説

パウルス・ディアコヌス
ぱうるすでぃあこぬす
Paulus Diaconus
(720ころ―797ころ)

イタリアの歴史家、詩人、文法学者。ランゴバルド人の名門の出身。ランゴバルド王女の家庭教師を務めたが、フランク王国のカール大帝によって祖国が征服されたのち、モンテ・カッシーノの修道士となる(782年以前)。反逆罪で捕らわれた兄弟の釈放を願うためアーヘンの宮廷に行き、大帝の恩顧敬愛を受け、数年間(782~85/86)王国で活躍した。主著には『ローマ史』『ランゴバルド族の歴史』がある。

[出崎澄男]

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世界大百科事典(旧版)内のパウルス・ディアコヌスの言及

【キリスト教文学】より

…この時代にイギリスは,古代英語で宗教詩を制作した2人の詩人,キャドモンCaedmon(7世紀末)とキネウルフ(8世紀末)をもったことも注目に値する。 カールの朝廷に集まった多くの文人中,詩人として名高いのは復活祭前主日の賛歌《栄えと称賛,誉れとを享(う)けたまえ,あがない主キリストよ》などの作者オルレアンのテオドゥルフTheodulf(750ころ‐821ころ)やアンギルベルトAngilbert(745ころ‐814)らであるが,《ランゴバルド史》の作者パウルス・ディアコヌスPaulus Diaconus(720ころ‐797ころ)にも《大教皇グレゴリウス伝》や,8音階の源となった《バプテスマのヨハネへの賛歌》などの詩がある。アルクインの流れは多くのすぐれた宗教詩人を生み,中でもフルダ修道院によったラバヌス・マウルスやゴットシャルク,ワラフリド・ストラボWalahfrid Strabo(808か809‐849)は,それぞれ敬虔な,あるいは哀切な,また優雅な賛歌の作者として知られる。…

※「パウルス・ディアコヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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