大伴道足(読み)おおとものみちたり

朝日日本歴史人物事典 「大伴道足」の解説

大伴道足

生年生没年不詳
奈良時代の官人。壬申の乱(672)で活躍した馬来田の子。伯麻呂の父。慶雲1(704)年従五位下に昇る。和銅1(708)年讃岐守に任じ,弾正尹,民部大輔などを歴任長屋王の変(729)の際,弾正尹従四位下で臨時に参議とされ,のち正四位下,右大弁となる。天平2(730)年,勅により擢駿馬使として大宰府(太宰府市)に赴き,大宰府の長官大伴旅人の家で歓迎された。3年諸司の挙によって参議に任じ,南海道鎮撫使となる。7年には右大弁正四位下として,太政官にあって訴えを処理しなかった罪に座したが,詔により許された。参議正四位下で没したことが伯麻呂の伝にみえる。天平13(741)年没とする説もある。

(佐藤信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大伴道足」の解説

大伴道足 おおともの-みちたり

?-741 奈良時代の公卿(くぎょう)。
大伴馬来田(まくだ)の子。一説大伴安麻呂の子。讃岐守(さぬきのかみ),弾正尹(だんじょうのいん),民部大輔(たいふ)などをへて,天平(てんぴょう)3年参議,南海道鎮撫使(ちんぶし)となる。7年右大弁のとき阿倍帯麻呂(あべの-おびまろ)らの殺人事件に関し処理の不手際をとがめられたが,のちゆるされた。正四位下。天平13年死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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