朝日日本歴史人物事典 「大伴駿河麻呂」の解説
大伴駿河麻呂
生年:生年不詳
奈良時代の官人。御行の孫ともいわれる。天平15(743)年従五位下に昇り,18年越前守に。橘奈良麻呂の変(757)に加わったが死は免れた。神護景雲4(770)年従五位上で出雲守に任じ,宝亀と改元後正五位下に進み,さらに肥後守として改元の祥瑞白亀を献上したことから正五位上に昇った。宝亀3(772)年陸奥按察使に任じ,老衰により辞するが光仁天皇の重用を受け許されず,逆に正四位下に叙された。4年陸奥国鎮守将軍となり,5年蝦夷征討の命を受けて戦果を挙げ賜物を受けた。6年参議に任じ,武功により正四位上勲3などを賜る。7年に没し,従三位と賻物を贈られた。坂上郎女との相聞歌などが『万葉集』に載る。
(佐藤信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報