20世紀日本人名事典 「大作理三郎」の解説 大作 理三郎オオサク リサブロウ 明治・大正期の社会運動家 生年明治9年2月29日(1876年) 没年大正7(1918)年12月16日 出生地埼玉県 学歴〔年〕小卒 経歴小学校卒業後、豊秋学舎で漢学を修め、明治21年上京して宮内庁の給仕となり、傍ら有為塾に学んだ。のち共立美術学校講師、桜寧書院主幹兼漢学教師となるが、35年宮島詠士の善隣書院に学び、まもなく清国(中国)に渡って川島浪速らの知遇を得て、唐継堯らの中国革命運動の協力者となり、のち顧問を務める。大正7年12月香港で客死した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大作理三郎」の解説 大作理三郎 おおさく-りさぶろう 1876-1918 明治-大正時代の中国革命運動の協力者。明治9年2月29日生まれ。35年宮島詠士の善隣書院にまなび,清(しん)(中国)にわたって川島浪速(なにわ)を知り,唐継尭らの革命運動に参加。大正7年12月16日香港で客死した。43歳。埼玉県出身。 大作理三郎 だいさく-りさぶろう ⇒おおさく-りさぶろう 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例