日本歴史地名大系 「大内川村」の解説 大内川村おおうちがわむら 栃木県:小山市大内川村[現在地名]小山市大本(おおもと) 大内川東は黒本(くろもと)村、南は荒川(あらかわ)村、北は岡(おか)村。慶長三年(一五九八)の結城秀康知行宛行状写(譜牒余録)に「皆川小薬」として大内川村とみえ、四二石余が清水長左衛門に宛行われている。慶安郷帳では幕府領と旗本幸田領の二給。慶安二年(一六四九)には当村内一五石が小薬(こぐすり)村称念(しようねん)寺に徳川家光から寄進された(「寺領朱印状」県立文書館蔵)。明暦元年(一六五五)の分郷高割目録(清水東三文書)によれば田九四町余・畑七四町五反余の計一千五四石余は、旗本駒木根分六一三石余・同小笠原分一六四石余・下総古河藩領四六石余・武蔵岩槻藩領三二一石余に分けられていた。 大内川村おおうちがわむら 和歌山県:西牟婁郡中辺路町大内川村[現在地名]中辺路町大内川北は福定(ふくさだ)村・大川(おおかわ)村、南は下川下(しもがわしも)村(現大塔村)、東は平瀬(ひらせ)村(現大塔村)と近露(ちかつゆ)村、西は高原(たかはら)村。日置(ひき)川の支流大内川とその枝谷に沿う谷間集落。小名下野川(しものかわ)は中心集落の北東約二キロ余に位置し、同十丈峠(じゆうじようとうげ)は北端付近の悪四郎(あくしろう)山から西側に延びた尾根にあり、熊野街道中辺路が東西に貫通する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by