朝日日本歴史人物事典 「大友貞順」の解説
大友貞順
南北朝時代の武将。貞宗の長男。通称次郎,近江次郎。豊後守。父に従い転戦するが,所領所職の配分にはあずからなかった。このため父の死後は惣領氏泰に背き,南朝に属した。建武4/延元2(1337)年,黒木,河崎氏ら筑後の国人と共に蜂起。以後数年間は南朝方にあったと思われる。貞和1/興国6(1345)年,北朝方に復帰。翌年5月には足利尊氏から本知行地頭職をあてがわれ,永和1/天授1(1375)年,足利義満にもこれを安堵される。のち惣領に背き,豊後国大野大渡,または稙田霊山寺で自殺したといわれている。
(福川一徳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報