鎮西(読み)ちんぜい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「鎮西」の解説

鎮西
ちんぜい

佐賀県北部,唐津市北部の旧町域。東松浦半島北西に位置し,沖合いの加唐島馬渡島などを含む。 1956年名護屋村と打上村が合体して町制。 2005年唐津市,相知町,北波多村,厳木町,浜玉町,肥前町,呼子町と合体し唐津市となる。中心集落の名護屋は天正 19 (1591) ~20年豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に築城し,本営としたところで,台地上の名護屋城跡および陣跡は国の特別史跡に指定。 1993年県立名護屋城博物館が開設された。農村部では野菜,タバコ,ミカン栽培,台地では畜産が行なわれる。沿岸部は漁業基地で,県栽培漁業センターがある。波戸岬には海中展望塔,海水浴場などがあり,周辺は観光リゾート地となっている。広沢寺ソテツは国の天然記念物。海岸付近と島嶼部は玄海国定公園に属する。 1967年呼子-名護屋間に名護屋大橋が完成。

鎮西
ちんぜい

九州のこと。天平 14 (742) 年1月筑紫におかれていた大宰府が廃され,翌年 12月鎮西府がおかれた。同 17年6月再び大宰府が復活したが,鎮西府と称され,鎮西は九州の別称として平安時代末期から鎌倉時代にかけて用いられた。

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精選版 日本国語大辞典「鎮西」の解説

ちん‐ぜい【鎮西】

(天平一五年(七四三)に、大宰府を一時「鎮西府」と改称したところからいう) 九州の別称。
※小右記‐長和二年(1013)七月一九日「此男本伊賀国者也、而去其国住筑紫、自鎮西参上、為之如何」

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世界大百科事典内の鎮西の言及

【西国】より

… その間にあって,九州は長期にわたり畿内の勢力に対抗した政治勢力のあった地域であり,《日本書紀》天武天皇5年(676)4月14日条に,東国に対して西国とあるのを,石井良助は西海道=九州と解している。事実,743年(天平15)大宰府に代えて一時的に鎮西府が置かれてから,鎮西とも呼ばれるようになった九州をさす語として,平安末期以降,西国が用いられた例は少なからず見いだされる。鎌倉幕府においても,その初期には貞永1年(1232)閏9月1日の〈畿内近国幷びに西国の堺相論の事〉についての法令のように,畿内近国と区別された九州を西国といった事例がみられるのである。…

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