出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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大友貞宗 (おおともさだむね)
生没年:?-1333(元弘3)
鎌倉後期の武将。豊後国守護。大友親時の子。孫太郎,左近将監。法名具簡,号顕孝寺。1333年3月,少弐貞経,菊池武時と鎮西探題北条英時を討つ密約をしたが,貞宗,貞経ともに変心したので,武時だけがこれを攻めて敗死した。貞宗は翌4月後醍醐天皇に内応した足利尊氏から軍勢催促を受け,六波羅探題陥落の報を知って,あらためて探題攻撃に参加した。12月病没。
執筆者:山口 隼正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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大友貞宗 おおとも-さだむね
?-1334* 鎌倉時代の武将。
大友親時(ちかとき)の子。嘉元4年(1306)ごろ大友家6代となる。豊後(ぶんご)守護。臨済宗の闡提正具(せんだい-しょうぐ)に師事した。少弐貞経(しょうに-さだつね),菊池武時らと鎮西探題赤橋英時を討つことを約しながら出陣せず,武時を戦死させる。のちに英時を討ち,倒幕に力をかした。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年12月3日死去。幼名は孫太郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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