大味川村(読み)おおみかわむら

日本歴史地名大系 「大味川村」の解説

大味川村
おおみかわむら

[現在地名]面河村大味川

古くは広大な北番きたばん村の一部であったが、戸口の増加につれて慶長一二年(一六〇七)以前に一村を形成した(→北番。戦国時代には大味川字昼野ひるの大除おおよけ(現久万町)の枝城若山わかやま城があって菅内蔵之丞がおり、家来加藤治郎は鹿の角を一束折りにするほどの剛の者であったという(大野家四拾八家之次第)。天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の四国征伐後、大野家の牢人たちは郡内各地に住み付いたが、大味川分へは字若山に寺西遠江・宮原蔵人、字草原くさはらに中川主膳が移り住んだという(熊大代家城主大野家由来)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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