上浮穴郡(読み)かみうけなぐん

日本歴史地名大系 「上浮穴郡」の解説

上浮穴郡
かみうけなぐん

面積:七二三・四八平方キロ
久万くま町・面河おもご村・美川みかわ村・柳谷やなだに村・小田おだ

石鎚いしづち(一九八二メートル)を主峰とする石鎚山脈の南斜面に位置し、東部と南部は四国山地で高知県に接する。一〇〇〇メートルを超える山三〇余峰を数え、平均高度七〇〇―八〇〇メートル、高冷地のため冬季は積雪も多く、県内でただ一つの海をもたない郡である。地形的にも歴史的にも、土佐湾に流れる仁淀によど川上流域の久万山くまやま(→久万山と、瀬戸内海伊予灘に流れるひじ川上流域の小田郷(→小田郷に二分される。

現在の郡名は明治一一年(一八七八)の郡区町村編制法で、古代からの浮穴郡が上下二郡に分けられたときに始まる(→浮穴郡

〔原始〕

美川村で発見された上黒岩岩陰かみくろいわいわかげ遺跡(国指定史跡)は縄文草創期の住居跡で、最も古い層のものは一万二千年前とされている。郡内の縄文遺跡はこのほか、小田町に一ヵ所、久万町に約一〇ヵ所、面河村に一ヵ所発見されているが、弥生遺跡はわずかに久万町で四ヵ所発見されたにすぎない。文化の発達に伴う生活の変化によって、この地は生活適地としての資格を失い、歴史時代となると人煙まれな僻地として取り残されたものであろう。「和名抄」にみえる古代浮穴郡内の四郷はいずれも旧下浮穴郡内の地に置かれたと推定されていて、上浮穴郡内には該当するものがない。

〔古代〕

伊予国の初期官道は讃岐国府から今治いまばり平野の伊予国府に達し、これより西南に迂回して松山平野に出、三坂みさか峠を登り、上浮穴郡を経て土佐国府と結んでいたという説が「拾芥抄」の行基図、「続日本紀」養老二年(七一八)の記事、「日本後紀」延暦一六年(七九七)の記事からなされたこともあったが根拠はうすい。この郡で最も重要なものは菅生大宝だいほう(現久万町)と海岸山岩屋いわや(現美川村)である。寺伝によれば、前者は大宝元年(七〇一)創建、後者は弘仁六年(八一五)弘法大師の創建という。両寺についての現存最古の記録は鎌倉時代、正安元年(一二九九)の「一遍聖絵」で、一遍が文永一〇年(一二七三)菅生の岩屋に参籠したことが絵入りで記されている。なお、当時の産物として露峰つゆのみね(現久万町)産の「いよすだれ」がよく知られ、平安貴族の邸宅で珍重されたようすが「源氏物語」や「枕草子」などにみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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