大坂町奉行同心・与力屋敷跡
おおさかまちぶぎようどうしん・よりきやしきあと
江戸時代の天満東寺町の北にあった町奉行所役人の役宅。東は天満郷空心町・友古町、西は同綿屋町に画されていた。同心屋敷は東組が南町として寺町北一筋目、西組は北町としてその北三筋目にあり、間には与力屋敷があった(文化三年増修改正摂州大阪地図)。東西町奉行同心数各五〇騎に各々屋敷二〇〇坪が与えられていた(大阪市史)。与力屋敷は淀川左岸にもあった(→新川崎町)。同心屋敷地は江戸時代から同心町とよばれている例があり(摂津志)、与力屋敷地も同様に与力町と通称されていたと考えられる。同心町には日羅塚があった(摂津志)。伝日羅墳跡として府の史跡に指定されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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