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敏達天皇 びだつてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

敏達天皇
びだつてんのう

[生]宣化3(538).大和
[没]敏達14(585).8.15. 大和
第 30代の天皇 (在位 572~585) 。名,渟中倉太珠敷尊 (ぬなくらふとたましきのみこと) 。欽明天皇の第2皇子。母は皇后石姫 (いわのひめ) 皇女。大和の訳語田幸玉宮 (おさだのさきたまのみや) に都した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

びだつ‐てんのう〔‐テンワウ〕【敏達天皇】

[?~585]記紀で、第30代の天皇。欽明天皇の第2皇子。名は渟中倉太珠敷(ぬなくらのふとたましき)。治世中、仏教受容をめぐって蘇我氏と物部氏が対立を深めたという。訳語田(おさだ)天皇。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

敏達天皇 びだつてんのう

?-585 記・紀系譜による第30代天皇。在位572-585。
欽明(きんめい)天皇の第2皇子。母は石姫(いしひめの)皇后。任那(みまな)再興をはかるがみのらず,また疫病流行がおさまらないのは,蘇我(そが)氏が仏法をひろめたためとして,排仏を実行した。敏達天皇14年8月15日死去。墓所は河内磯長中尾陵(かわちのしながのなかのおのみささぎ)(大阪府太子町)。別名は渟中倉太珠敷天皇(ぬなくらのふとたましきのすめらみこと)。
【格言など】灼然(いやちこ)なれば,仏法を断(や)めよ(「日本書紀」)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

敏達天皇

没年:敏達14.8.15(585.9.14)
生年:生年不詳
6世紀後半の天皇。欽明天皇と宣化天皇の娘石姫の子。次男であったが,長男箭田珠勝大兄皇子が死んだため,欽明の死後,572年即位した。即位前は,『日本書紀』に訳語田渟中倉太珠敷尊,『古事記』に沼名倉太玉敷命と記される。訳語田(桜井市)は宮の所在地。異母妹豊御食炊屋姫を皇后とした。父欽明の遺詔に従い任那復興を企て,百済,新羅と交渉した。その結果,新羅に調を進らせることに成功したという。百済との交渉では火葦北国造阿利斯登の子日羅が百済の情勢を伝えたが,日羅はそのため殺された。物部,中臣両氏の実力を背景に,仏像をすべて蘇我馬子に還付するなど,仏教排斥を断行した。日祀部,私部などを置き,宮廷制度の整備を進めた。

(大平聡)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

びだつてんのう【敏達天皇】

記紀で第三〇代天皇、淳名倉太玉敷尊ぬなくらふとたましきのみことの漢風諡号しごう。欽明天皇第二皇子。記紀では六世紀後半に在位。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

敏達天皇
びだつてんのう
(?―585)

6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと))、譯語田(おさた)天皇ともいう。息長真手(おきながまて)王の娘広姫(ひろひめ)を后(きさき)としたが薨(こう)じ、ついで豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)(後の推古(すいこ)天皇)を后とする。『日本書紀』には朝鮮三国(高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ))との交渉、造仏関係、あるいは吉備白猪(きびしろい)の屯倉(みやけ)に関する「田部の名籍」の伝えなどを、その治世におけるできごととして記している。墓は河内(かわち)の磯長(しなが)中尾陵(大阪府太子(たいし)町)とする。[上田正昭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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