大塚紋蔵(読み)オオツカ モンゾウ

20世紀日本人名事典 「大塚紋蔵」の解説

大塚 紋蔵
オオツカ モンゾウ

昭和期の農民 安中公害訴訟原告団長



生年
明治40(1907)年1月1日

没年
平成1(1989)年3月17日

出生地
群馬県安中市野殿

経歴
昭和2年高崎十五連隊の一員として満州上海戦線に参加、兵役から戻ったあとは、安中市農協組合長などを務める。47年3月、安中市内の東邦亜鉛安中精錬所を相手取っての公害訴訟を前橋地裁に提訴以来、団長として裁判闘争を指導。61年9月、同社との間で公害防止協定を締結して和解した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚紋蔵」の解説

大塚紋蔵 おおつか-もんぞう

1907-1989 昭和時代後期の農業指導者。
明治40年1月1日生まれ。昭和41年群馬県安中市農業協同組合組合長。47年から61年まで東邦亜鉛に対する安中公害訴訟の原告団長をつとめる。人工飼料による養蚕普及,酪農振興にもつくした。平成元年3月17日死去。82歳。群馬県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android