大宮文武館跡(読み)おおみやぶんぶかんあと

日本歴史地名大系 「大宮文武館跡」の解説

大宮文武館跡
おおみやぶんぶかんあと

[現在地名]大宮町 北二丁目

部垂(へたれ)城跡に安政二年(一八五五)一〇月、藩校弘道館の分校的性格をもつ郷校として建設が始まり、翌年八月に開館した。「大宮町史」所収文書に「此度村役人並御格式被仰付者共剣術炮術等之儀農間相励候様被仰付難有仕合ニ奉存候」とある。通学範囲は大宮・下村田(しもむらた)・下岩瀬(しもいわせ)・上岩瀬・根本(ねもと)・泉(いずみ)・宇留野(うるの)・富岡(とみおか)・小倉(おぐら)・塩原(しおばら)・辰野口(たつのくち)・岩崎(いわさき)・上大賀(かみおおが)・小祝(こいわい)・鷹巣(たかす)の各村のほか、小貫(おぬき)・照山(てるやま)・西野内(にしのうち)・舟生(ふにゆう)・山方(やまがた)・野上(のがみ)・家和楽(やわら)の各村(現山方町)、新地(あらじ)・花房(はなふさ)・上利員(かみとしかず)・中利員の各村(現久慈郡金砂郷村)、瓜連(うりづら)・下大賀・鹿島(かしま)の各村(現瓜連町)、後年にはさらに下利員村・箕(み)村・竹合(たけあい)村(現金砂郷村)を含む三二ヵ村の広範囲に及んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報