日本歴史地名大系 「部垂村」の解説
部垂村
へたれむら
久慈川の西岸にあり、「水府志料」に「東は川向にて、小倉、富岡村也。此所渡場あり。太田辺より笠間筋への道筋なり」「保内領より水戸城下への往還道筋なり」とある。
「新編常陸国誌」に「鹿島社久寿二年神領目録ニ、辺垂トアリ」とみえ、妙徳寺過去帳(水戸妙徳寺蔵)に天文八年(一五三九)三月一八日「部垂前小屋落城」とあり、同九年の源義篤寄進状(二方文書)にも「部垂之内天王之近辺畑二段一貫文之地諏訪大明神江奉寄進」とある。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「部垂村」とみえる。しかし部垂は語呂が悪いとして、鎮守
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報