日本歴史地名大系 「大山田下郷」の解説 大山田下郷おおやまだしもごう 栃木県:那須郡馬頭町大山田下郷[現在地名]馬頭町大山田下郷大山田上郷の南、高倉(たかくら)山東南に位置し、村の中央を武茂(むも)川が南流する。西は小砂(こいさご)村。元禄郷帳にみえ、高一千三一七石余。宝永五年(一七〇八)には百姓家数一九七、水呑家数七(「人別等書出」大金重徳文書)、人数五二〇、馬一三一(「人馬数改書上帳」同文書)。「水府志料」によれば文化二年(一八〇五)頃の家数一六七。庄屋をつとめた石井家は佐竹氏の旧臣で、徳川頼房の代に水戸藩により取立てられ、五〇石取の郷士となったという(「代々書上控帳」石井啓一文書)。元和六年(一六二〇)の覚(同文書)によれば、郷士役のほか御成先御用、御留メ川御番の勤務と、御前煙草御買上御用、鹿茸年々献上をつとめることが定められている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by